2016年6月27日(月)
2016 焦点・論点
明治憲法と自民改憲案 「緊急事態」条項(下)
一橋大名誉教授 渡辺治さんに聞く
治安維持法を死刑法に
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―緊急勅令はどんなときに使われましたか。
青年将校によるクーデター事件である2・26事件(1936年)は、その後の軍部独裁のてこになりましたが、この時、政府は、8条を使い戒厳令を発動して東京を軍事独裁下に置き、一切の言論、政治活動を禁圧しました。
大災害を口実にして人民への弾圧をやった例は、1923年9月1日の関東大震災です。「3・11のような大震災には緊急事態規定がないとたいへんだ」という自民党や改憲派の言い分がいかにウソであるかが経過からよくわかります。
地震の翌2日、8条により東京地域に戒厳令が発動され戒厳司令官のもとで軍事独裁が敷かれました。戒厳令の下、命令で治安維持令が出され、「暴動」が起きるかもしれないという口実で大勢の朝鮮人が虐殺されました。4日には南葛労働会の川合義虎ら青年労働者が虐殺され、16日には大杉栄と伊藤野枝も虐殺されました。軍事独裁下だからこそできた虐殺でした。
議会が反対しても
また緊急勅令は、政府が、議会や国民の反対する悪法を通すためにも使われました。
1928年の治安維持法大改悪がそれです。
治安維持法(1925年制定)は「国体の変革」、つまり戦前の絶対的天皇制の民主的改革などをめざす結社をつくったり加入したりすること自体を重罰に処す、つまり共産党に入るだけで処罰する悪法でした。政府は28年の3・15事件で日本共産党に対しこの法を発動しましたが、その直後に、より弾圧を強化するために大改悪に乗り出したのです。
この改悪は、共産党の幹部に対し最高刑を死刑にしたこと、また党員でなくともその「目的遂行ノ為ニスル行為」をおこなった人びとを2年以上の懲役にするとして労働組合や民主団体に弾圧の手を広げるものでした。
ところが、この改悪案は当時の帝国議会でも反対が多く、議会で否決されました。しかし政府は議会が閉会したとたん、緊急勅令で改悪を強行したのです。8条がいかに乱用されるかの典型です。
植民地支配で猛威
8条の規定は植民地支配の道具としても猛威を振るいました。日本は1910年に韓国を併合しましたが、このときにも緊急勅令で、韓国では議会にかけずに朝鮮総督の一存で法律に代わる命令を出せると定めたのです。これが終戦まで半島の人民の自由を奪う手段になったのです。
―安倍改憲を許すかどうかが問われますね。
戦後の多くの改憲の動きの中でも、安倍政権の積極姿勢は際立っており、9条改定と表裏一体で、明治憲法の緊急事態条項を形を変えてそっくり復活させようとしています。
戦争法廃止か、安倍改憲かが参院選のもっとも大きな争点です。
広範な共同の力を集めて安倍政権を包囲し、安倍改憲をストップしなければなりません。
(おわり)