2016年5月15日(日)
主張
ビキニ国賠訴訟
事実隠した政府の責任は重大
アメリカが1954年に太平洋マーシャル諸島ビキニ環礁でおこなった水爆実験で被災した日本のマグロ漁船の元乗組員や遺族ら45人が、国を相手に国家賠償を求める訴訟を高知地裁に起こしました。被災から62年、被ばくの実態を隠し、乗組員の健康被害を放置し続けた日本政府の責任と違法性を初めて問う裁判です。
日米「政治決着」が根源に
「ビキニ被災」といえば、第五福竜丸と、亡くなった同船無線長の久保山愛吉さんが知られていますが、同じように放射能で汚染された海域で操業し、取れた魚を食べ、放射能の混ざった雨水をシャワーがわりにした日本人乗組員が数多くいました。そのなかには40〜50代の働き盛りで亡くなった漁民も少なくありません。
後年に障害が出るなど体に複雑で深刻な影響をもたらすのが、放射能被害です。にもかかわらず日米両政府は被ばくの実態がほとんど分からない、わずか10カ月後の段階で、被害のほんの一部である第五福竜丸関係や物的被害の補償だけですませる「政治決着」をはかりました。人的被害については、調査すらしませんでした。アメリカの「好意」による見舞金(名目は慰謝料)として受領し、今後新たに判明した被害はいっさい補償しないというひどい内容です。この「政治決着」こそが「許しがたい日本政府の責任と違法行為の根源となり、出発点となった」(訴状)ことは明らかです。
被災から提訴まで62年もかかったのは、日本政府が日米の「政治決着」を何より優先させ、長年にわたり、被災状況の資料の存在そのものを否定し、開示を拒否し続けてきたからです。
日本共産党の山原健二郎衆院議員(当時)は86年3月の国会質問で、ビキニ被災状況の調査と政府保有資料の開示を求めましたが、政府側は「資料はない」「第五福竜丸以外の漁船については、その実態、数字についてはつかんでいない」の一点張りでした。ところが、アメリカが近年公開した文書の中にビキニ被ばく関係があることが判明、市民団体や日本共産党国会議員団の連携した追及で、厚生労働省も2014年にようやく文書を開示しました。
国会答弁とは正反対に膨大な資料が存在していたことは、開示を拒否し、事実を隠し続けた日本政府の不当な姿勢を浮き彫りにしています。
被災したマグロ漁船が多かった高知県を中心に埋もれていた事実を1980年代から掘り起こしてきた太平洋核被災支援センターの山下正寿事務局長(同県宿毛市)も原告に加わりました。「『ビキニに行った』と話す300人以上の漁民と接した。亡くなった人も多い。その怒り、家族の苦しみをぶつけたい」と山下氏は語ります。
核兵器廃絶の運動と結び
ビキニ被災は、アメリカによる広島、長崎への原爆投下に続き、日本人が核兵器と放射能の犠牲になった大きな事件です。
国賠訴訟に合わせて結成された「支援する会」は、アメリカなど核保有国の責任を追及し、核兵器廃絶を求める運動もすすめることを確認しました。被爆者による核兵器廃絶の新たな国際署名運動も始まっています。これらの運動と連帯し、一致した願いである「核兵器のない世界」の実現へ、さらに力を合わせることが重要です。