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2016年3月12日(土)

東日本大震災・原発事故5年 追悼の被災地

生活取り戻したい 公的支援の継続・拡充切実

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 海に向かい手を合わせ、あの日に思いをはせ、そして未来を見つめる―。東日本大震災・東京電力福島第1原発事故から5年をむかえた11日、被災地では犠牲者を悼む姿が絶えませんでした。死者・行方不明者1万8455人、震災後の傷病悪化などによる震災関連死は全国で3407人に達しています。いまだに17万4471人が避難生活を強いられています。住まいも仕事・生業(なりわい)もすべてが再建には程遠い状況。原発事故も収束の展望が見えません。被災者は、安倍政権の冷たい姿勢に怒り、公的支援の継続・拡充や賠償などを強く求めています。


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(写真)地震発生時刻、防潮堤の上で犠牲者を追悼する人たち=11日、岩手県宮古市(青柳克郎撮影)

 「あの日のことは忘れない」―。岩手県宮古市田老地区では11日、高さ10メートルの防潮堤の上から遺族ら約300人が海に向かって手をつなぎ、大津波による犠牲者に思いをはせました。復興にあたる工事関係者も作業を止め参加しました。

 宮古市では大津波の影響で、517人の市民が犠牲になりました。

 地震発生の午後2時46分に合わせて、歌詞に「津波」が出てくる田老第一中学校の校歌3番を2回合唱し、黙とうしました。

 防潮堤での黙とうに岩手県宮古市から参加した男性(77)は「津波で家が流された。親せきも亡くなった。いい感じのしない5年間だった」と声を詰まらせました。親族の遺体はいまだ見つかっていません。

 神奈川県横浜市戸塚区から参加した男性(17)は「祖母が被災したが無事でした。当時中学1年生で、テレビで津波を見て不安になりました。今後はボランティアもやってみたい」と語りました。

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(写真)海にむかって献花する人たち=11日、宮城県石巻市

 宮城県石巻市門脇町の「がんばろう!石巻」と書かれた看板の前では、600人以上の市民らが黙とうしました。看板はこの場所で被災した男性らが「津波に負けたくない、地域を励ましたい」との思いで、2011年4月に立てました。

 妻=当時(58)=を亡くした男性(66)は「3月11日は来てほしくない。一年で一番つらい日」と涙を流しました。

 昨年9月に東京電力福島第1原発事故の避難指示が解除された福島県楢葉町。同県いわき市に避難する女性(56)が献花台の前で、震災で亡くなった両親に「来春には同町に戻ります」と報告。「戻ったら納骨してあげたい。少しは気持ちに区切りがつくかな」と話しました。


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