2016年3月8日(火)
安倍政権の「原発固執政治」の二つの矛盾
――力あわせ「原発ゼロの日本」をつくろう
全国革新懇・福島県革新懇主催シンポジウム 志位委員長の報告
日本共産党の志位和夫委員長が6日に福島県二本松市で開かれたシンポジウム「原発ゼロをめざして今、福島から――あの日から5年」(全国革新懇・福島県革新懇主催)で行った報告は次のとおりです。
「福島県民切り捨て政治」と「原発固執政治」は一体――この政治の転換を
福島のみなさん、全国のみなさん、こんにちは(「こんにちは」の声)。日本共産党の志位和夫です。
事故は今なお続き、被害は拡大している――安倍政権の冷酷な姿勢があらわに
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さきほど、楢葉町の早川千枝子さん(社会福祉法人・希望の杜福祉会結いの里施設長)のお話をうかがって、原発事故が福島のみなさんから奪ったものがいかに大きく、いかにかけがえのないものであったかをあらためて痛感して、胸がつぶれる思いとともに、「原発ゼロの日本」をご一緒につくりたいとの思いを、さらに強くしたところであります。(拍手)
あの大震災と原発事故から5年がたちましたが、事故は終わるどころか、今なお続き、被害は拡大しています。5年たった今なお、福島県全体で約10万人もの方々が、避難生活を強いられています。放射能汚染水が増加に転じ、1日550トンもの汚染水がつくられています。溶け落ちた核燃料の状態さえわからずに5年が経過し、「収束」とは程遠い状況にあります。
ところが安倍政権のとっている態度はどうでしょう。「福島県民切り捨て政治」ともいうべき、冷酷な姿勢をあらわにしているではありませんか。
「オール福島」の声である「県内原発全基廃炉」の要求に対して、私たちが国会でぶつけますと、首相の答弁は「事業者が判断する」、これしか言いません。しかし、実質的には東京電力の株式の過半数は国がもっており、国が政治判断すれば解決できる問題であることは、明らかです。
浪江町の町民のみなさんが、原子力損害賠償紛争解決センター(ADR)に仲介手続きを申し立て、ADRが和解案を提示したにもかかわらず、東京電力は頑として拒否し続けている。この問題について、私たちは繰り返し政府にただしてきましたが、「個別の案件について答弁しない」という、これも無責任な態度です。
まだ到底、帰れる状況にないのに、避難指示解除が進められ、それと一体に賠償が打ち切られようとしています。
原発再稼働・輸出のために「福島は終わったこと」にしたい――こんな政治は許せない
こういう「福島県民切り捨て政治」は、私は、「原発固執政治」――原発にあくまでしがみつく政治と一体のものだと思います。
安倍政権が、2014年4月に閣議決定した「エネルギー基本計画」は、原発を「重要なベースロード電源」と位置づけ、原発固執を宣言しました。そして政府が2015年7月に決めた「長期エネルギー需給見通し」では、2030年度の発電電力量のうち20%から22%を原発で賄うとしました。
九州電力川内原発1、2号機に続き、関西電力高浜原発3、4号機の再稼働を強行しました。高浜原発4号機は、再稼働したとたん、わずか3日後にトラブルで緊急停止となっていますが。
それから、この間、安倍首相は、核保有国インドに行って、原発の輸出を決めました。これは恥ずかしいじゃないですか。被爆国の政府が、核保有国に原発を売りつけるというのは恥を知れと、私は言いたいと思います。(拍手)
原発事故などなかったかのように、原発再稼働、原発輸出を進め、「原発固執政治」を進めたい、そのために「福島は終わったこと」にしたい――このような政治は絶対に認めるわけにいきません。(拍手)
すべての被災者が生活と生業を再建できるまで、ともに力をあわせて
私たち日本共産党は、原発事故の被災者の方々の支援にあたって、「被災者を分断するいっさいの線引きや排除、『期限切れ』を『理由』にした切り捨てをおこなわず、事故前にどこに住んでいたかにかかわらず、避難している人もしていない人も、故郷に戻りたい人も戻れない人も、すべての被災者が生活と生業(なりわい)を再建できるまで、国と東京電力が責任をもって等しく支援することを、大原則にすえよ」ということを強く要求してたたかってきました。
私は、原発事故から5年目にあたって、引き続きこの立場に立って、みなさんと力をあわせて奮闘することをお約束するものであります。(拍手)
第一の矛盾――国民の認識の発展との矛盾
今日、私がお話ししたいのは、こうした安倍政権の「原発固執政治」には決して未来はない、「原発固執政治」が二つの深刻な矛盾に直面しているということです。
第一の矛盾は、国民の認識の発展との矛盾です。
原発事故の体験を経て、国民の原発に対する認識は大きく変化しました。私は、とくに三つの点をあげたいと思います。
「原発安全神話」は、国民の間では完全に崩壊した
一つは、「原発安全神話」が、国民の間では完全に崩壊したということです。
どんな世論調査でも、再稼働反対の声は、5割から6割と、揺るがない多数派となっています。日本経済新聞が2月29日に掲載した世論調査では、原発再稼働について、「進めるべきだ」と答えた人は26%、「進めるべきでない」と答えた人が60%でした。
いま一つ、紹介したいのは、NHKが昨年10月に実施した、高浜原発に関する世論調査です。「新しい(規制)基準に適合した原発で、住民の避難が必要になるような事故が起きるおそれがあると思いますか」という問いに、「大いにあると思う」「ある程度あると思う」と答えた方が、高浜原発が立地する高浜町で50・2%、「周辺地域」で76・9%、「その他福井県」で73・8%、電力供給を受けている大阪市で74・8%に達しました。5割から8割の人が、避難を要する大事故が起きると考えています。
安倍政権は、「世界で最も厳しい基準で審査をしています」と言っている。「世界で最も厳しい」というのはウソですよ(笑い)。この偽りの宣伝を繰り返して、新たな「安全神話」を復活させようと必死です。
しかし、そうやって再稼働を急ぎ、再稼働の既成事実をいくら積み重ねようとも、「原発安全神話」は、もはや国民の間では通用しない。それは国民の間では完全に崩壊したと言えるのではないでしょうか。
他の技術にない原発の「異質の危険」が国民的認識に
二つ目は、原発が他の技術にはない「異質の危険」を持っていることが、国民的認識となっているということです。
一昨年5月、福井地裁は、関西電力大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じる歴史的判決を下しました。この判決は、福島第1原発事故から真摯(しんし)に教訓を引き出し、きわめて豊かな内容をもつものですが、そこでは原発には他の技術と異なる「本質的な危険性」があるということを繰り返し強調しています。判決は、「原子力発電においては、……いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行くという性質を持つ。このことは、(他の技術とは)異なる原子力発電に内在する本質的な危険である」とのべています。
他の技術の場合には、仮に大事故が起こったとしても時とともに収束に向かいます。しかし原発は違う。ひとたび大事故が起こったら、時とともに事故の被害は拡大していきます。福島で起こっていることは、まさに、こうした「異質の危険」を示しています。政府が当面、帰れないと認めた「帰還困難区域」が発生した――2万5千人もの方々が、そこでさまざまな暮らしを営んでいた、双葉町、大熊町、浪江町などのかなりの部分が「帰還困難区域」とされていることは、その最も深刻なあらわれです。
私たち日本共産党は、原発は他の技術にはない「異質の危険」を持っている、ひとたび重大事故を起こし、放射能が外部に流出する事態になると、人類にはそれを制御する手段はなく、被害は、空間的にも、時間的にも、社会的にも、とめどもなく広がる、だから人類と原発は共存できないと主張してきましたが、このことは福島の現実を体験して、国民的認識となっているのではないでしょうか。
日本社会は「原発ゼロ」でもやっていけることが明らかになった
そして三つ目は、日本社会が「原発ゼロ」でもやっていけることが、国民的体験を通じて明らかになったということを、特筆すべきこととして、私は強調したいと思うのであります。(拍手)
この5年間で、「稼働原発ゼロ」となった期間は2回あります。1度目は、2012年5月から7月までの約2カ月間です。2度目は、2013年9月15日から2015年8月11日までの約2年間です。
この国民的体験は、原発推進勢力による“原発が動かなかったら大変だ”という脅しに根拠がないことを、事実をもって示しました。
私は、ここに財界のシンクタンク「日本エネルギー経済研究所」が2011年6月に発表したリポートを持ってまいりました。そこには、今後、定期検査によって「稼働原発ゼロ」になる可能性があること、そうなったら、三つの問題が起こると書いています。
第一に、「全国的に深刻な電力不足となる可能性が高い」。
第二に、「エネルギー起源CO2排出量が大幅に増加する」。
第三に、「(発電コストが)3・5兆円増加する」。
脅し文句がずらりと並んでいます。
しかし現実はどうだったか。
「稼働原発ゼロ」で日本国民は2回も、夏と冬を経験しましたが、全国どこにも「電力不足」など起こらなかったじゃありませんか。
年間を通じて原発稼働がなかった2014年度は、国民のさまざまな努力によって、エネルギー起源CO2は、「大幅増加」どころか、3・6%減少しました。
発電コストが「3・5兆円増加」するとされましたが、原油や天然ガスの国際価格の大幅な下落などによって、「稼働原発ゼロ」の影響は、年間4700億円と7分の1にすぎません。コストというなら、事故処理を含めれば“原発こそ究極の高コストだ”という批判が提起されました(拍手)。さらに福井地裁の判決では、多数の人々の命と電気代の高い低いの問題は、次元を異にする問題であって、天秤(てんびん)にかけることは「法的に許されない」とする本質的批判が提起されました。(拍手)
「原発安全神話」が崩壊し、原発の「異質の危険」が国民的認識となり、「原発ゼロ」でも日本社会はやっていけるということを国民が体験した――この5年間の国民の原発に関する認識の発展はきわめて大きいと思います。これは逆戻りすることは決してありません。全国に広がった「原発ゼロ」「再稼働反対」のたたかいが、こうした国民的認識の発展をつくりだしたことに、お互いに大きな確信をもって、さらにたたかいを発展させようではありませんか。(拍手)
第二の矛盾――原発という技術システムとの矛盾が限界に達している
第二の矛盾は、「原発固執政治」と、原発という技術システムとの矛盾が、限界に達していることです。
危険極まりない老朽原発が常態化することになる
その一つは、危険極まりない老朽原発が常態化することになるということです。
2012年、当時の民主党政権が「原発の運転期間は原則40年」という方針を打ち出しました。「ほとんどの原子炉は中性子の照射によって、心臓部にあたる圧力容器が脆(もろ)く、壊れやすくなり、40年で寿命となる」という考え方に立った方針でした。原子炉の圧力容器が、非常にエネルギーの高い中性子によってだんだん脆くなる。鋼鉄の「粘り気」が弱くなる脆性(ぜいせい)劣化という現象が起こり、脆く亀裂が入りやすくなる。これは避けがたい物理の法則です。そこで「原則40年」とされ、40年を超える運転というのは「例外中の例外」とされました。
ところが、40年を超えた関西電力高浜原発1、2号機が、新規制基準で「適合」とされました。なぜ老朽原発の再稼働を進めるのか。政府は、さきほどお話ししたように、2030年度の発電電力量のうち20%から22%程度を原発で賄うという方針です。ところが、「40年原則」を厳格に適用しますと、日本に存在する43基の原子炉のうち、30年末には25基が「40年」を超えて廃炉になるのです。そうなりますと、どんなに他の原発を運転しても、30年の原発依存度は15%前後にしかなりません。それより5ポイントから7ポイント多い「20〜22%」という数値は、原発の新増設が極めて困難である以上、既存の原発の運転期間延長に頼らざるを得なくなるというわけです。
ですから、「原発固執政治」を続ける限り、危険極まりない老朽原発が常態化する、こういう深刻な行き詰まりに直面している。こういう点からも、もう原発は使えないということを強調したいと思うのです。
「核のゴミ」の問題が八方ふさがりとなっている
もう一つ、より本質的な矛盾は、「核のゴミ」=使用済み核燃料の問題です。
今年は、日本で原発が稼働してから60年になります。これまでに約2万4千トンの使用済み核燃料が発生し、約7千トンはイギリスとフランスに再処理委託を行い、約1万7千トンが国内に保管されています。国内に保管されているもののうち、約1万4千トンは各原発の使用済み核燃料プールなどに貯蔵されており、約3千トンは六ケ所再処理工場に貯蔵されています。
それでは原発を再稼働した場合に、どうなるか。計算上わずか6年で全ての原発の貯蔵プールは満杯になります。六ケ所再処理工場の貯蔵プールはすでに満杯です。ですから、再稼働したらわずか数年で、文字通りあふれ出すことになるわけであります。
それでは再処理工場を動かした場合はどうか。再処理工場の稼働のメドはたっていませんが、仮に使用済み核燃料を再処理したとしますと、プルトニウムが蓄積されます。すでに日本は国内外に47・8トンものプルトニウムを持っていますが、再処理工場が動きだしますと、年間8トンものプルトニウムが出てきます。
ところが、これを持って行く先がないでしょう。高速増殖炉のもんじゅは止まったままです。やむなくプルサーマルといって、普通の軽水炉でプルトニウムを燃やすという方針です。これは、さらに危険が高まります。私は、以前、プルサーマルの視察に行ったことがありますが、原子力発電所の所長さんに聞きますと、プルサーマルでは、制御棒のききが悪くなること、さらに核燃料(MOX燃料)の融点――溶ける温度が低くなることなどを認めました。そして、プルサーマルをやったとしても、とても再処理工場で生成されるプルトニウムを使い切ることなどできません。プルトニウムは蓄積される一方になります。
核拡散防止の観点から、利用目的のないプルトニウムは保有できないということになっています。さきほど国内に保管されている使用済み核燃料は約1万7千トンと言いましたが、これを全量再処理した場合、単純計算で1万発を超える核弾頭の製造が可能となり、テロや核拡散を招きかねないという懸念の声も出されています。
さらに再処理をしますと、「高レベル放射性廃棄物」が生成されますが、その処分方法もまったく見通しはありません。
原発の再稼働をすれば使用済み核燃料の貯蔵プールがあふれ出す、再処理をすればプルトニウムが止めどもなく蓄積する、「高レベル放射性廃棄物」は増え続ける――どちらに行っても八方ふさがり。これが「核のゴミ」の現状なのです。
老朽原発の常態化という点でも、より本質的には「核のゴミ」という点でも、「原発固執政治」と、原発という技術システムとの矛盾は、あらゆる面でもう限界ではないでしょうか。この事実を正面からとらえて、「原発ゼロの日本」への決断をすることを、強く求めていきたいと思います。(拍手)
「原発ゼロ」の日本を――これをすすめる力は国民のたたかいのなかにある
「原発固執政治」の二つの矛盾ということをお話しいたしました。「原発ゼロの日本」は、3・11から5年を経ての、国民の認識の大きな発展という点からも、原発という技術システムの行き詰まりという点からも、必然ではないでしょうか。
これをすすめる力は国民のたたかいのなかにあります。
5年前の3・11――大震災と原発事故は、日本国民に大きな犠牲と苦難をもたらしました。同時に、この悲劇は、日本国民のなかに、政治の不合理に目をつぶっていてはならない、不合理があれば声をあげ、行動しなければならないという考えが広がる、大きな契機となったと思います。そうした変化が最初にあらわれたのが、原発反対の運動でした。2012年3月に始まった首相官邸前の「再稼働反対」「原発ゼロ」を求める抗議行動は、186回を数えました。それは、首相官邸前・国会前から、全国各地へと広がりました。一人ひとりの国民が、主権者として、「今のこの政治はおかしい」と自主的・自発的に声をあげ、立ち上がる、新しい市民運動が、あの原発事故の痛苦の体験をへて、日本国民のなかにわきおこりました。
それが、この4年間、さまざまな分野で豊かに広がり、昨年から今年にかけて安保法制=戦争法に反対するたたかいとなって、空前の規模で広がりました。そのたたかいの中から、「野党は共闘」という声が広がり、その声に背中を押されて、野党共闘が前進し、日本の政治を変える大きな可能性をつくりだしています。
私は、この野党共闘を必ず成功させて、安倍政権を倒すために、頑張りぬきたいと決意しております。(大きな拍手)
みなさん。原発事故の被災者の方々の支援と一体に、力をあわせて「原発ゼロの日本」をつくろうではありませんか。安倍政権を打倒して、日本の政治に立憲主義、民主主義、平和主義を取り戻していこうではありませんか。そのことを訴えて、私の発言といたします。(大きな拍手)