2016年1月13日(水)
普天間基地解決「移設条件なし」でこそ
衆院予算委 赤嶺議員の質問
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24日投開票の沖縄・宜野湾市長選挙で重大争点になっている米軍普天間基地問題。日本共産党の赤嶺政賢議員は12日の衆院予算委員会で、名護市辺野古への米軍新基地建設か、普天間基地の固定化かの二者択一を迫る安倍政権の不当性を追及しました。
「移設」か「固定化」か 選びようのない選択迫る政府
「名護市には(辺野古への新基地建設で)今回初めて米軍基地がやってくるわけではない」―。赤嶺氏は、名護市にはすでに、キャンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセン、辺野古弾薬庫、八重岳通信所の4基地が存在し、総面積は2300ヘクタールに及ぶことを指摘。「米軍三沢基地を抱え、基地の面積では沖縄県に次ぐ青森県が2400ヘクタール。名護市だけで青森県にほぼ匹敵する広大な米軍基地を抱えている」と強調しました。
シュワブ、ハンセンには、米軍が実弾射撃訓練やヘリ、MV22オスプレイなどの離着陸訓練を日常的に行う訓練場が広がっており、周辺住民の騒音被害は深刻です。
「辺野古、豊原、久志、許田、幸喜という五つの集落上空を縦横無尽にオスプレイが飛び回っている」―。日本政府は、辺野古新基地にオスプレイが移った後は、海上を飛行するので騒音はなくなると説明しています。ところが、赤嶺氏が示したのは、実際に名護市上空を飛び交うオスプレイの実態(図上)でした。
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中谷防衛相は、「(オスプレイの)経路については確認していない」と述べ、無責任な答弁に終始。一方で、「キャンプ・シュワブ周辺の学校、幼稚園、保育園に対しては防音工事の助成を行っている」と答弁。事実上、騒音被害の存在を認めました。
「新基地ができれば、(集落上空を飛びまわるオスプレイの)訓練はなくなるのか」。赤嶺氏は政府の矛盾を追及。首相は、「(新基地に)移った後も訓練はさまざまある」と述べ、陸上での訓練を否定しませんでした。
赤嶺氏は、「今、新基地はないのに着陸帯があるために、オスプレイが集落上空で訓練をしている。新基地ができても着陸帯がそのままあるわけだから、騒音はなくなるわけがない」と反論。「東村高江でも伊江島でも、沖縄県内で新しい基地をつくるか、さもなければ普天間基地は固定化するというのは、選択しようのない選択肢を政府が県民に突きつけるものだ。こんな選択肢など選びようがない」と厳しく批判しました。
普天間の危険を言いつつ政府 市街地上空の飛行拡大を容認
安倍政権は、「普天間の一刻も早い危険性の除去」と繰り返し述べて、辺野古への米軍新基地建設を強行しています。赤嶺氏は、日本政府こそが米軍言いなりに、普天間基地の危険性を拡大してきた欺まんを厳しく追及しました。
赤嶺氏は、1996年4月、当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日米大使が普天間基地返還合意した3カ月後に、宜野湾市に対して普天間基地の副司令官が滑走路の東側だけでなく、西側にも飛行経路を拡大すると一方的に通告したことを告発。さらに、東側の飛行経路は一部を除いてほぼ基地内に収まるように設定されていたのに、西側は初めから民間地域上空に設定されていると指摘した上で、自らが設定した経路さえ無視して米軍機が市街地上空を飛び回っている実態(図下)を突きつけました。
そのうえで、赤嶺氏は、当時の桃原(とうばる)正賢・宜野湾市長が、飛行経路拡大を拒否したのに米軍が聞き入れなかったと指摘し、「米側は押し切って危険を拡大した。日本政府はやめろと言ったのか」と迫りました。
中谷防衛相は、「その点については確認しなければならない」と述べ、答弁できませんでした。それどころか、風向きや天候の影響などを挙げて「安全にヘリコプターを運用していくことが必要ではなかったのか」と米軍を擁護しました。
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赤嶺氏は「住民の安全を考えれば、普天間基地の外を飛ぼうと言うのを断るのが当たり前ではないか」と迫りました。
もう一つの“危険性の拡大”は、米軍機による市街地上空での深夜・早朝訓練です。赤嶺氏は騒音の被害が宜野湾市民に「耐えられない苦しみ」を与え続けていると怒りをぶつけました。日米両政府が午後10時〜午前6時の飛行を制限すると合意しているのに「なぜ守らせないのか」と迫りました。
中谷防衛相は「(米側と)事前に協議して決めていることを順守していただくよう協議し、違反すること等があったら申し入れをして改善をうながしている」と発言し、県民が苦しむ実態に寄りそわない答弁に終始しました。
赤嶺氏は、「辺野古には基地を移せない。普天間基地は一刻も早くなくさなければいけない。この二つの条件を満たすのが、沖縄県民が総理に提出した『建白書』だ」と述べました。そのうえで、「基地をいっそう危険にしているのは、県民の暮らしや安全よりも米軍の運用を優先する日本政府の態度が大本にある。普天間基地問題を解決するためには移設条件なしの撤去以外にない」と迫りました。