2015年9月19日(土)
戦争法案ゴリ押し 安倍政権三つの大罪
安倍内閣不信任決議案に対する志位委員長の賛成討論
衆院本会議
日本共産党の志位和夫委員長が18日の衆院本会議で行った安倍内閣不信任決議案に対する賛成討論は次の通りです。
私は、日本共産党を代表して、安倍内閣不信任決議案への賛成討論を行います。
私は、不信任の理由として、安倍政権が、安保法案=戦争法案のゴリ押しによって、つぎの三つの大罪を犯してきたことを、きびしく指弾するものです。
第一の大罪――
憲法の平和主義を壊す、「海外で戦争する国」への暴走
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第一の大罪は、日本国憲法の平和主義を根底から覆し、日本を「海外で戦争する国」につくりかえようとしていることであります。
戦争法案には、「戦闘地域」での米軍への兵站(へいたん)、戦乱が続く地域での治安活動、地球のどこでも米軍を守るための武器使用、そして集団的自衛権の行使――自衛隊が海外での武力の行使を行う仕掛けが、幾重にも盛り込まれています。そのどれもが戦争を放棄し、戦力保持を禁止した憲法9条を乱暴に蹂躙(じゅうりん)するものであることは、国会論議を通じて、いまや明々白々であります。
私が、強調したいのは、安倍首相が繰り返した戦争法案推進論がことごとく破たんしたということであります。(「そうだ」の声)
首相は、「集団的自衛権は日本人の命を守るためにどうしても必要」として、日本人母子のイラストまで掲げて「邦人輸送の米艦防護」を繰り返しました。しかし、最近になって「日本人が乗っていなくても集団的自衛権の発動はありうる」と言い出しました。首相があれほど繰り返した「ホルムズ海峡の機雷掃海」についても、イラン政府が「機雷敷設などありえない」と表明するなかで、最近になって「現実の問題として発生することを具体的に想定しているものではない」と言い出しました。「日本人の命を守る」としてあれだけ繰り返した二つの事例がどちらも破たんした。立法事実が示せない。結局、集団的自衛権行使の目的は「日本人の命を守る」ことではなく、世界のどこであれ米軍とともに戦争をすることにあることが、はっきりしたではありませんか。(拍手)
首相は、米軍等への「後方支援」――兵站について、「武力の行使にあたらない」と弁明しました。しかし、「非戦闘地域」という歯止めを撤廃し、これまで「戦闘地域」とされていた場所にまで自衛隊が行って米軍への軍事支援を行えば、相手方からの攻撃にさらされることになります。攻撃されたらどうするのか。首相は「武器の使用をする」と認めました。そうなれば「殺し、殺される」戦闘になるではありませんか。憲法9条が禁止した武力の行使そのものではありませんか。(「そうだ」の声)
くわえて、兵站の内容の面でも、武器・弾薬の輸送、弾薬の補給、戦闘行動に向かう航空機への給油等を可能にしようとしています。海上自衛隊が作成したイメージ図では、敵潜水艦を攻撃している米軍ヘリが、自衛隊のヘリ空母で給油し、また敵潜水艦を攻撃するというものまでありましたが、政府はそれも可能だと認めました。このような活動は、誰がどう見ても米軍と一体となった武力行使そのものではありませんか。
首相は、法案は「北朝鮮の脅威」等への「抑止力」になると繰り返しました。しかし、こうした議論に対して、大森政輔元内閣法制局長官は、9月8日の参考人質疑でつぎのように批判しました。
「我が国が集団的自衛権の行使として……第三国に武力攻撃の矛先を向けますと、その第三国は、……我が国に対し攻撃の矛先を向けてくることは必定であり、集団的自衛権の抑止力以上に紛争に巻き込まれる危険を覚悟しなければならず、バラ色の局面到来は到底期待できない」
集団的自衛権行使とは、日本に対して武力攻撃を行っていない国に対して、日本の側から武力の行使を行うということです。それは、相手国から見れば、日本による事実上の先制攻撃となります。それは、相手国に日本を攻撃する大義名分を与え、相手国が今度は日本に対して攻撃の矛先を向けてくることはまさに必定となります。国民を守るというより、進んで国民を危険にさらす、武力紛争を日本に呼び込む――ここにこそ集団的自衛権行使の本質があることは、審議を通じて浮き彫りになったではありませんか。(拍手)
戦後、自衛隊は、一人の外国人も殺さず、一人の戦死者も出していません。これをもたらした力は、憲法9条が存在し、平和を希求する国民の世論と運動が脈々と続き、「集団的自衛権行使は許されない」という憲法解釈を政府にとらせてきたことにあります。憲法9条を壊して、この平和の歩みを断ち切り、日本を「殺し、殺される」国へとつくりかえる暴挙を、断じて認めるわけにはいきません。(「そうだ」の声、拍手)
第二の大罪――
解釈改憲による立憲主義の根底からの破壊
第二の大罪は、安倍政権が、こうした日本の国のあり方の大転換を、憲法解釈の変更というクーデター的手法によって進め、わが国の立憲主義を根底から破壊しようとしていることです。
圧倒的多数の憲法学者、歴代の内閣法制局長官に続いて、最高裁判所長官を務めた山口繁氏が、「安保法案は憲法違反」と断ずる発言をしました。
山口氏は、次のようにのべました。
「集団的自衛権は憲法違反という憲法解釈が60余年間とられ、国民の支持を得てきたという事実は重い。それは、単なる解釈ではなく規範へと昇格しているのではないか。9条の骨肉と化している解釈を変えて、集団的自衛権を行使したいのなら、9条を改正するのが筋だ」
安倍首相は、忘れたのですか。6月に憲法学者から「憲法違反」との批判があがったときに、あなた方は何と言ったか。「憲法解釈の最高権威は最高裁だ。憲法学者でも内閣法制局でもない」と言い放ったではありませんか。ところがその最高裁の元長官から「違憲」との批判が出ると、首相はなんと言っているか。「退官した一私人の発言」と切り捨てた。これはあまりに恥ずかしい、専門家の学識への敬意を欠く、傲慢(ごうまん)きわまりない態度ではありませんか。(「そうだ」の声)
60余年間の積み重ねで「規範」となり「骨肉」となった憲法解釈を、一内閣の専断で覆す。これは立憲主義、法的安定性、法の支配を根底から覆す暴挙といわなければなりません。礒崎首相補佐官の「法的安定性は関係ない」との発言こそ、安倍政権の本音、そして、安倍首相の本音をあからさまに語ったものだったのではありませんか。(「そうだ」の声)
審議のなかで、自衛隊中枢の暴走という大問題が明るみに出ました。自衛隊統幕監部が、すでに5月の段階で、法案の成立を前提にして、具体化の検討をしていた。そこには、米軍と自衛隊の「軍軍間の調整所」の設置――日米共同軍事司令部を平時からつくることなど、国会に一度も説明されていない事項がズラリと並んでおりました。
自衛隊の河野統幕長が、昨年12月に訪米し、米軍幹部と会談した記録も明るみに出ました。米側から「安保法制は予定通り進んでいるか」と問われ、統幕長は「来年夏までには終了する」と約束しています。法案が「閣議決定」された5月のはるか前の時期に、成立の時期を米軍に約束する。これを「軍の暴走」と言わずして何というのか。(「そうだ」の声)
この重大問題の究明なくして採決など論外であります。安倍政権が、暴走をかばい、真相にふたをし、文民統制という大原則を自ら投げ捨てる態度をとっていることを、絶対に容認するわけにはいきません。(「そうだ」の声)
首相は、世界に向かっては「法の支配」を説いています。しかし、ほかならぬこの日本で「法の支配」をないがしろにしているのが安倍政権ではありませんか。(「そうだ」の声)
「法の支配」をないがしろにする政治の行き着く先は独裁政治です。このような内閣に国政を担う資格は、断じてありません。(「そうだ」の声)
第三の大罪――
異論や批判に耳を傾けない民主主義否定の姿勢
第三の大罪は、安倍政権が、国民の異論や批判にいっさい耳を傾けようとしない民主主義否定の姿勢を取り続けてきたということです。
どの世論調査でも、国民の6割以上が戦争法案の「今国会での成立に反対」と答えています。首相は「丁寧に説明して理解を得る」と言ってきましたが、「説明」すればするほど反対は広がるばかりです。3カ月余の衆参の審議を通じて、安倍政権は、ついに国民の理解を得ることはできなかった。国民を説得する立場も、論理も、能力もなかった。首相は、その冷厳な事実を率直に認めるべきです。(「そうだ」の声)
首相は、「決めるべきときには決める。それが民主主義だ」と言い放ち、あくまで戦争法案の強行をはかろうとしています。沖縄新基地建設問題でも、原発再稼働問題でも、圧倒的多数の民意を無視し、問答無用の暴挙をかさねています。
しかし、民主主義とは何か。民主主義とは、いったん選挙で多数を獲得すれば、何でも許されるというものではありません。異論や批判に謙虚に耳を傾け、真摯(しんし)に向き合う。異なる立場であっても、事実と道理に立って、真剣な議論を尽くす。その不断のプロセスこそが民主主義ではありませんか。(「そうだ」の声)
安倍首相、あなたには、その資質、姿勢が、決定的に欠けています。「早く質問しろよ」「どうでもいいじゃん、そんなこと」。あぜんとするような閣僚席からのヤジは、あなたの問答無用の姿勢を象徴するものであり、それだけでも首相失格といわねばなりません。(「そうだ」の声)
だいたい、昨年の総選挙で自民党が得た得票は有権者比で17%にすぎず、多数の議席を得たのは、ひとえに小選挙区制によるものにすぎません。17%の支持で、6割以上の国民の多数意思を踏みにじることは、国民主権という日本国憲法が立脚する民主主義の根幹を破壊するものにほかなりません。(「そうだ」の声)
今、連日のように国会前で、全国で、戦争法案強行に反対するたたかいが、燎原(りょうげん)の火のように広がっています。中央公聴会で大学生の奥田愛基(あき)さんは、「私たちは一人一人個人として声を上げています。『不断の努力』なくして、この国の憲法や民主主義が機能しないことを自覚しているからです」と語りました。私は、この言葉に胸が熱くなりました。国民一人ひとりが、主権者として、「今声を上げなければ」と、自覚的・自発的に立ちあがっている。これは戦後かつてない新しい国民運動です。それは、戦後70年、日本国憲法の理念、民主主義の理念が、国民の中に深く根をおろし、豊かに成熟しつつあることを示しているのではないでしょうか。私は、これは日本の未来にとっての大きな希望だと確信するものです。(「そうだ」の声)
この国民の歩みを止めることは誰にもできません。国民のみなさん、憲法の平和主義、民主主義、立憲主義を貫く新しい政治をつくろうではありませんか。この国民の声が聞こえないもの、聞こうとしないものには未来はありません。戦争法案の廃案、安倍内閣の速やかな退陣を強く求めて、私の賛成討論を終わります。(大きな拍手)