2015年8月4日(火)
自殺米兵家族の伝言
輸送任務の息子 戦場で心壊した
「僕は殺人者」 悪夢に悩み、酒におぼれ…
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「父さんのひざの上に座ってもいい? そして、しばらくゆすってくれないか」
当時23歳だったジェフリー・ルーシーさんは自宅で、父親のケビンさん(65)にこう頼みました。11年前の6月21日夜のこと。ケビンさんはそれに応え、ジェフリーさんを座らせました。
罪悪感と緊張で
子どものころから何かあると、父親のひざの上がジェフリーさんの最後のよりどころ。ジェフリーさんは衰弱しきっていました。
ジェフリーさんが何も言いたがらなかったので、言葉は交わしませんでした。「まさかこれが、息子の“さよなら”だとは思いませんでした」
次の日、ケビンさんは再びジェフリーさんをひざの上に乗せました。それは、首をつったジェフリーさんを見つけ、下ろした後のことです。父親と息子は、もう言葉を交わすことはできませんでした。
2003年7月にイラクから帰還した米海兵隊員のジェフリーさんは04年6月22日、マサチューセッツ州ベルチャータウンの自宅の地下室で、自ら命を絶ちました。
イラクでは輸送部隊で主に米兵や補給品の輸送に当たっていたジェフリーさん。戦地から、命と体は無事で故郷の家族のもとに帰ることができました。しかし、すでに彼の心は壊されていました。
「僕は殺人者でしかないんだ」―。戦場でイラク人を殺したことへの罪悪感、輸送途中の極度の緊張。ジェフリーさんは、悪夢や幻聴にも悩まされました。
酒におぼれ、暴れ狂い、自殺を口にする―。症状が悪化していくジェフリーさんを、家族も恋人も友人も、米政府の担当機関も止められませんでした。
“1日22人”自殺
米政府は01年からアフガニスタンで、03年からはイラクで戦争を開始。この二つの戦争で260万人以上の米兵が現地に派遣され、そのうち60万人が戦地での恐怖体験から、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などを患っています。米退役軍人の自殺者は現在、1日平均22人といわれています。
ケビンさんら家族は訴え続けています。「息子と同じような、私たちと同じような道を絶対に歩んでほしくない。日本のみなさんにもです」
自衛隊員を海外の戦闘地域に派遣し、輸送はもちろん、米軍の兵站(へいたん)を担い、武力行使も可能とする戦争法案を安倍政権が国会で強行する構えを続けているなか、戦地から帰国後に自殺した米兵の家族からの伝言を聞きました。
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どうして家族が壊される戦争に向かおうとするのですか
心的外傷後ストレス障害(PTSD)が原因で、自ら命を絶ったジェフリー・ルーシーさん(享年23歳)は米海兵隊の第6輸送大隊で輸送車の運転手として、米軍のイラク侵攻に従軍しました。運んでいたのは海兵隊の補給品全般でした。時にはイラク兵捕虜の輸送任務もありました。
父親のケビンさんは「私たちは、最前線にはいないだろう、大丈夫だろうと思っていました」と語りました。しかし、それは間違いでした。
「自分が殺した」
「午後10時半。スカッドミサイルが近くに落ちた。衝撃波がテントをガタガタと鳴らしたのは、ちょうど眠ろうとしたときだ。鼓膜が破れそうな音だった。みんなの心臓の音が一瞬止まり、現実として自分たちがどこにいて、何が起きているのか思い知らされた」
米軍が侵攻を開始した2003年3月20日のジェフリーさんの日記には、こう書かれています。
イラクから帰還後の同年のクリスマスイブ。自宅の冷蔵庫の横で酒を飲んでいたジェフリーさんは、二つのイラク兵の認識票を妹に投げて見せました。自分が殺したと明かしました。詳細は語ろうとはしませんでした。
中東の砂漠を思い出すからとジェフリーさんは、砂浜を歩きたがりませんでした。イラク兵に追いかけられる夢にうなされたり、「クモの声が聞こえる」と、自分の部屋で探し回ったりしました。
部屋に引きこもり、「やらないよ」と言いながら、さまざまな自殺方法にも言及するようになっていきました。病院や行政当局は、ジェフリーさんが気を紛らわすために飲んでいた酒をまずやめることだと述べ、迅速な対応はしませんでした。
そして、ジェフリーさんはとうとう―、「おかげで僕は幸せな幼少期と素晴らしい人生を過ごしたので、どうかあなたたち自身を責めないでください。残念ながら僕は弱く、精神的な痛みを抑えることができません」(両親に宛てた遺書から)。
息子のことについて語るとき、母親のジョイスさん(66)は何度もうつむき、握りこぶしで机をたたきました。
「息子に起きたことは決してあってはならないことでした。戦争に巻き込まれる道を、歩ませるべきではありませんでした」
ジェフリーさんは、テーマパークのディズニー・ワールドに行くことが大好きな少年でした。中学・高校では野球やバスケットボールなどのスポーツが得意。誰とでも仲良くする友達の多い好青年に成長しました。
1999年に大学生だったジェフリーさんは、「人々を助けたい」と米軍に入隊することを決意。「退役後には医療や住宅購入の面で支援がある」などと説明して強引に勧誘する新兵募集係の影響もあったと、ケビンさんは話します。
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「うそつきだ!」
ジェフリーさんはイラクに戦争を仕掛けることを支持していませんでした。戦争開始を急ごうとする当時のブッシュ政権に警戒心を抱いていました。自殺する前夜も、テレビでニュースを見ながら米政府に対して怒り狂い、暴れました。「彼らはうそつきだ!」
酒をやめて病院に行きなさい―変わり果てていく息子にそれぐらいしか言えなかった無念さと悲しみ、怒りは消えません。ケビンさんは深いため息を交えながら語りました。
「戦争は、とらえることができない致命的ながんを、人間の心にもたらします」
今、日本で戦争法案をめぐり、ジェフリーさんと同い年ぐらいの多くの若い人が反対し、立ち上がっていることにジョイスさんは、「良いですね、良いですね」と繰り返しました。「私たちが息子の悲劇や経験を訴え続けることで、息子も声を上げていることになると思っています」
「自己防衛には同意しますが、どうして家族が壊される戦争に向かおうとするのですか?」とケビンさんは問いかけます。日本国憲法を読んだとも述べました。
「すべての国が持つべき姿勢が書かれています。平和主義のままでいてほしい」
(ワシントン=洞口昇幸 写真も)