2015年6月28日(日)
百田氏の「普天間基地は田んぼの中にあった」のウソ
宜野湾市資料、写真が語る真実
基地撤去の民意敵視
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自民党本部で開かれた若手国会議員の勉強会で、作家の百田尚樹氏(元NHK経営委員)が口にした「普天間基地は田んぼのなかにあった。周りには何も無い。そこに商売になるということで住みだした」との発言。これほど沖縄の歴史をゆがめ、県民を侮辱した暴言はありません。少しでも沖縄県史や現地を見れば、出てこない言葉です。
“普天間基地の真実”を語る写真があります。普天間基地の南端からみた基地内の光景です。米軍機が着陸に利用する滑走路につながる「誘導灯」越しに並ぶ亀の甲羅状の屋根の群れ。県内に広く造られている独特の墓、亀甲墓(かめこうばか)です。
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なぜ米軍基地内に墓が。県と宜野湾市が2010年にまとめた「普天間飛行場内遺跡地図」(中間報告)にこうあります。
基地内の地籍の5109筆中、宅地620筆、墓地542筆を確認。同市文化課はいいました。「これは(現在の基地内の)2割が戦前、ここで人々が利用していたことになる」
記者は2009年5月に宜野湾市基地政策部から1枚の手書き図面の提供を受けました。図面にはこうありました。「略図調整報告ニ関スル件」。沖縄戦から間もない1946年10月19日に当時の宜野湾村長が沖縄民政府総務部長あてに提出した公文書です。
そこには当時の村の集落にかぶさるように「軍飛行場」の文字と区域が書き込まれています。軍飛行場は現在の普天間基地であり、宜野湾の地名の集落は当時の村役場があった地域です。
役場のほか病院、郵便局、商店や墓地などが書き込まれ、旧宜野湾村の中心地だったことを物語っています。
図面を手に説明してくれた山内繁雄基地政策部長(当時)の言葉が忘れられません。「米軍はサトウキビとパイン畑だけの原野だった、基地が出来てから周辺に集落ができた、と強弁するが、事実はまったく違う」
米軍が「銃剣とブルドーザー」で住民の土地を奪い、つくり上げたのが普天間などの米軍基地であり、「県民から基地提供したことは一度もない」(翁長雄志〈おなが・たけし〉沖縄県知事)ということは、まぎれもない歴史的事実です。
百田氏の暴言には、新基地建設に反対する「オール沖縄」のゆるがない民意を敵視し、基地建設を強行する安倍政権の側近人脈の一人であるベストセラー作家という知名度を利用した、「確信犯的言論」という底意が透けて見えます。
(山本眞直)