2015年4月29日(水)
『スターリン秘史―巨悪の成立と展開』 第2巻を語る (上)
変質を見極めると歴史の筋道が見えてくる
日本共産党の不破哲三社会科学研究所所長の『スターリン秘史―巨悪の成立と展開』第2巻「転換・ヒトラーとの同盟へ」をめぐり第1巻に続いて、不破さん、石川康宏神戸女学院大学教授、山口富男社会科学研究所副所長の3人が語りあいました。
―第2巻は、スターリンの覇権主義への変質における特徴、フランス、スペイン、中国の運動へのスターリンの介入、ヒトラーとの政治同盟という国家戦略の大転換―が主題です。
変質の下での共産主義運動を見る四つの角度
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不破 第6章の冒頭で書きましたが、スターリンは「大テロル」で、進歩とも社会主義とも革命とも無縁なところへ決定的に行きついてしまいます。その変質をリアルに見極めることで、スターリンの行動のその後の筋道がはっきり見えてきます。
山口 今回の研究の重要な足場ですね。
第6章では、スターリンが決定的に変質した段階での、「世界の共産主義運動をどう見るか」の四つの角度―(1)徹底した秘密主義を貫く、(2)絶対的な無条件服従の体制をつくる、(3)科学的社会主義の言葉で飾る、(4)支配・指導体系の矛盾はとくに対外関係で鋭く現れる―が大きく提起されています。
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不破 ここで挙げた四つの角度は、その後、共産主義運動にくわわってきたわれわれの実感でもあるのです。
「大テロル」は、表舞台では、「反ファシズム」闘争の旗が掲げられている時期に、徹底した秘密主義のもとで強行されたものでした。その真相はソ連国内でも誰も知らない。
コミンテルンにしても、スターリンは、ディミトロフをうまく押し立て、反ファシズムの方針を打ち出した第7回大会で、この組織を、スターリンの同意なしにはやれないシステムにつくりかえてしまいました。スターリンの打ち出す方針は、全部ディミトロフ経由でコミンテルンの指示として出ることになりました。
世界の運動にたいするスターリンの支配体制をより決定的なものにしたのが、スターリンへの「理論」信仰ですね。スターリンには、それまで理論的著作はほとんどないのですが、『ソ連共産党(ボ)小史』(1938年)をつくって、“スターリンがロシア革命を指導した”“ロシア革命にはマルクス・レーニン主義の革命論のすべてがある”と書いて、それを徹底させる国際運動をやったわけです。
私が日本共産党に入った当時は、ソ連とその指導者スターリンに対する理論的、政治的な無条件の信頼がありましたね。それには、第2次世界大戦で、ソ連がヒトラー・ドイツを倒す主力軍になり、戦後の国際政治を動かす主役の一人となったという事実も大きく働きました。
石川 前回の鼎談(ていだん)で、不破さんは学生の頃、熱心に『小史』を学んだと言っていましたね。今回、『秘史』第2巻を読んで『小史』の位置づけが納得できました。スターリンは、レーニン時代を知る世代を「大テロル」で壊滅させ、ソ連共産党やコミンテルンを、自分をあがめる人間ばかりの集団につくり変えた。その上で、自分を神格化させる思想・政治教育に乗り出していく。その産物が『小史』だったわけですね。
山口 理論的な偽造をきちんとつかむことと、真実を知らされていなかった人たちが真実を知ってそれを乗り越えること―これは研究上の整理であると同時に、私たちの運動を考える上でも大事な観点ですね。
石川 今回の研究は、ソ連の覇権主義とたたかった歴史をもつ日本共産党の理論的蓄積があってこそだったと不破さん自身、語っていますが、なぜ日本の共産主義者はスターリンの覇権主義とたたかえたのでしょうか。
不破 スターリンが、世界の共産主義運動に覇権主義的な支配をめぐらせたとき、日本共産党はそこには入らなかったのです。「大テロル」が開始される前の1935年に、弾圧で日本共産党の中央委員会の活動が中断させられました。戦後、理論的、政治的な影響は受けましたが、その支配体制そのものは日本には及びませんでした。
その日本共産党を、強引にスターリンの支配の枠に押し込めようとしたのが「五〇年問題」でした。この干渉のもとで苦難の時期を経て、自主独立の立場を確立した。それが、1960年代以後、スターリンの後継者たちの干渉とたたかう強固な基盤となっていったのでした。
フランス、スペイン、中国への介入
山口 第7章では、統一戦線戦術を打ち出した1935年のコミンテルン第7回大会を受けて、それがどう具体化されたかや、変質したスターリンの介入がどう行われたかを、フランス、スペイン、中国で見てゆきます。解明していく上でさまざまな資料が使われています。不破さん自身、いろんなことを発見したと書いていますね。
なぜフランス共産党を入閣させなかったか
不破 フランスでは1936年5月に人民戦線が総選挙で勝ちました。なのに、フランス共産党は入閣しなかった。これは、私の長年の疑問でした。これについては、『ディミトロフ日記』ではなく、アメリカで出版されたディミトロフとスターリンの『書簡集』を読んで、そのいきさつがわかりました。
フランス共産党が望み、ディミトロフが勧めても、スターリンは断固として入閣を認めなかったのです。従来公表されていたのは、入閣しないのはフランス共産党自身の判断だったという説でした。しかし、事実は、そうではなくモスクワが認めなかったのですね。
一方、スペインでは、フランスよりも3カ月早く、同年2月に人民戦線が総選挙で勝ちました。その時にはまだ共産党が政権に入る条件がなかったのですが、その後に政権が代わったときには当然入るべきだということになり、スターリンは閣僚を2人入れろという指示までしています。
この違いは何なのか。
スターリンは次の段階を考えていたのですね。当面は反ファシズム戦線でヒトラーの脅威を押し返すことに力をいれるが、将来は、ヒトラーと手を組む選択肢もありうるという考えが、スターリンの頭のなかには、かなり早くからあったのだと思います。そうなったときに、フランスで共産党が政府に入っていると、方針転換の手がしばられる。その事態を回避する予防措置だったのです。
スペインはそうはいきません。大国ではないし、ドイツが支援する反乱軍に対して、反ファシズムのたたかいをしている国ですから。
「大テロル」をやりながら、反ファシズム統一戦線にもこういう政略的な対応をする。スターリンの変質を見極めると、フランス共産党の人民戦線政府への参加になぜあれほど強硬に反対したのかも、読み解けてきます。
ディミトロフはスターリンのそんな真意は読めませんから、1936年には入閣を断念したけれども、38年にフランスが政府危機を迎えた時、今度は入閣してもよいだろうと考えてスターリンに提案します。しかし、スターリンからはなんの返事もありません。これは拒否の意味だと悟ったディミトロフは、自分で「入るな」という指示を出すのですが、全く説得力のない内容でした。
石川 35年のコミンテルン第7回大会で反ファッショ統一を提起しながら39年には独ソ同盟に転換する。その間わずか4年です。第7回大会でスターリンはいっさい発言せず、方針に公的な責任を取りませんでした。その段階から先を見すえて、方針転換できるように考えていたのですね。第7回大会の決定を貫く意思はなく、どこの国に対しても、自分や自分の帝国の利害を最優先していたのがよくわかります。
山口 スターリンが自分の利害、国家の戦略優先で決めていることをつかむと、フランス共産党には政権に参加するなと言い、同じ時期にスペインには参加しろと言った謎が解けてきますね。スペインについては「衛星国」化まで狙っていたと知り、驚きました。
スペイン内戦を「衛星国」化の実験場に
石川 スペイン内戦は、学生のときにスティーブ・ネルソンの『義勇兵』を新日本文庫で読んだぐらいです。不破さんも手をつけるのに時間がかかったと言われてましたが。
不破 スペイン内戦というのは当時の国際的な大事件で、各国の進歩派が心を寄せたんです。各国で共産党やスペイン支援組織が中心になって呼びかけた「国際旅団」に多くの義勇兵が参加しました。それに加わった米国の作家ヘミングウェイの『誰(た)がために鐘は鳴る』という小説がありますが、ソ連の干渉のことをちゃんと書いているんですね。スペイン人の将校がみんなソ連系の人間なのに、経歴や名前を偽っていることなどを「じつに嘘(うそ)の多い世界」と書いています。
英国の作家ジョージ・オーウェルもスペイン内戦に参加しました。彼はイギリスの独立労働党が組織したルートでスペインのカタルニア地方に入ります。そして、ソ連が「トロツキスト」と呼んでいた別の革命派の組織・マルクス主義統一労働者党(POUM)との関係で弾圧に巻き込まれたいきさつを書いています。
私は、これまでこの話をスペイン内戦史のどこに位置づけていいのかわからずにいたのですが、今回の研究では、スペイン内戦時に現地のコミンテルン関係の幹部からコミンテルンに送られた書簡集(『裏切られたスペイン』、英文)がたいへん役に立ちました。『秘史』の第2巻に寄せられた感想で、私と同じようにスペインの歴史が初めてわかったという人が結構いましたよ。
山口 スターリンは、スペイン共産党を入閣させて介入の舞台をつくり、「国際旅団」を利用した軍事援助で、軍隊と警察の指導権を握ることにすごく力を入れるんですね。
不破 全部隊に政治委員(コミサール)というソ連式を導入して共産党の影響力を強め、さらに秘密警察NKVD(内務人民委員部)の幹部を多数送り込みました。スターリンは、まるで政権が自分の手中にあるかのようにスペイン政府の人事を語っています。ところが人民戦線政府が、クーデターを起こしたフランコ将軍との戦いに負けそうだとなると、スペイン問題に興味を失い、やがては見向きもしなくなります。
山口 スターリンはスペイン内戦への干渉を通じて、他国の政権の指導権を奪い、その国を「衛星国」化するために、どんな手段が必要で有効かという経験と教訓をつかんだ、第2次世界大戦後の東欧の「衛星国」化の「最大の実験場」にした、という不破さんの指摘はとても大きいですね。
石川 自分たちの帝国拡大のために役立ちそうなら力を入れるし、可能性がなくなれば途端に、現地はどうなってもいいと手を引いてしまう。「巨悪」の狡知(こうち)(悪がしこい知恵)が、自分たちの帝国拡大のためにのみ使われていることが一つひとつの歴史のなかによく見えています。
(つづく)