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2015年3月15日(日)

きょうの潮流

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 戦前の日本共産党の幹部、市川正一(しょういち)が亡くなってからきょうで70年になります。終戦の5カ月前に、仙台の宮城刑務所で53歳の生涯を閉じました▼刑務所当局は「老衰」と発表しましたが、身長168センチあった人の体重が、31・6キロになっていました。歯は5、6本となり、飯粒などを机の上で指ですりつぶして食べていました。16年にわたる獄中生活下の栄養失調によるものでした▼宮城の党員たちが、東北大医学部でホルマリン池槽に放置されている遺体を発見したのが、1948年3月。人体解剖の教材用でした。それを撮影した故庄司幸助氏(元党衆院議員)は「解剖し尽くされ、骨の間に茶褐色のわずかばかりの肉のささくれが残っていた。むごいことをするものだと思った」と証言を残しています▼市川正一は早稲田大を卒業後、党創立直後に入党し、29年に「四・一六事件」で逮捕。「日本共産党員になった時代が真の時代、真の生活である」と公言した姿勢そのままに、苦難に耐えぬく勇気と気概をもった革命家でした▼公判では、弾圧された被告を代表して陳述をしました。裁判長の執拗(しつよう)な脅しに屈せず「科学の光明と冷静な論理の力で相手を圧倒していく陳述」(志位和夫委員長)で、党の本当の姿を国民の前に堂々と明らかにしました▼郷里の山口県光市にある市川正一の碑には、多くの人びとに勇気を与えた陳述の言葉が刻まれています。「党の発展は必然である。党の勝利、すなわちプロレタリアートの勝利は必然である」


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