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2015年3月12日(木)

東日本大震災・原発事故4年 住まい・生業 再建遠く

悲しみ 怒り…追悼の被災地 政治の役割 より重要に

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 東日本大震災は11日、発生から4年を迎えました。死者・行方不明者1万8475人、震災後の傷病悪化などによる震災関連死は全国で3194人にのぼります。被災地では、犠牲者を追悼する人々の姿が絶えませんでした。4年たっても、約22万9000人が避難生活を続けています。東京電力福島第1原発事故も収束とはほど遠い状況です。長期化する仮設住宅暮らし、深刻化する健康被害、再建がすすまない生業(なりわい)―。住まいと生業の再建をすすめ、国民の命と財産を守る政治の役割がますます重要になっています。


写真

(写真)津波の爪あとが残る防災対策庁舎前で献花し手を合わせる人たち=11日、宮城県南三陸町

岩 手 大槌町

 住民の約1割が犠牲になった岩手県大槌町の赤浜地区では、復興計画を話し合う住民組織「赤浜地域復興協議会」が被災した旧赤浜小学校の体育館で「追悼の会」を開きました。参加者は犠牲者93人分の「慰霊灯ろう」に火をともし、地震発生時刻に合わせ黙とうしました。

 仮設住宅で家族と暮らす29歳の女性は「仮設住宅の生活にも慣れましたが、災害公営住宅ができるのはまだ先なので、4年たって復興が進んでいるのかどうか実感がわきません」と話しました。

 沿岸部に住む妻の妹など親族十数人が津波の犠牲になった男性(78)は「つらいけど悲しみを超えないと先に進めません。亡くなった人の分もがんばって生きようと思っています。これからも追悼の行事には必ず参加して、供養しつづけたい」と話しました。

 追悼の会の後、参加者は海岸へ下りて、海に向かって手を合わせ祈りました。 (佐藤幸治)

宮 城 南三陸町

 津波で破壊され、職員や住民43人が犠牲となった宮城県南三陸町の防災対策庁舎には、雪が舞う中、夜明けごろから人々が集まり、献花しました。義妹や知人らを亡くした男性(67)は「長いようで短いような4年間だった。一日も早い町の復興を願う」と話しました。

 津波で家が流され、仮設住宅に暮らす男性(67)は、町から人が流出している現状に触れ、「(亡くなった知人らに)希望があるという報告ができず悔しい」と涙ぐみました。

福 島 南相馬市

 「お父さんに会えるのはこの場所」。福島県南相馬市小高区の女性(77)は避難指示区域内にある夫=当時(75)=の墓にお参りしました。車に孫たちを乗せ、追われるように津波から逃げましたが、農作業中だった夫は間に合いませんでした。「孫たちの成長を見守ってほしい」と伝えたといいます。


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