2014年12月23日(火)
沖縄・新段階の「島ぐるみ」闘争 (4)
誇り貫く真の「保守」
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「保革を乗り越え、県民の心を一つに新辺野古基地は造らせない。私のこの政治姿勢の原点が仲里さんです」
知事の就任準備に追われる翁長雄志(おながたけし)氏は総選挙公示日の2日朝、一人の保守政治家の出発式でマイクを握っていました。沖縄4区から「オール沖縄」の共同候補として無所属での出馬が急きょ決まった仲里利信氏(77)の応援です。
相手は現職の総務副大臣で、自民党沖縄県連前会長の西銘(にしめ)恒三郎氏。仲里氏自身も県議会議長や自民党県連顧問、西銘氏の後援会長まで務めていた保守の重鎮でありながら、辺野古新基地容認に転じた西銘氏の公約裏切りで、昨年、西銘氏と決別していました。
保守対保守に
保守政治家同士の一騎打ちとなった沖縄4区は、保守の激変と「オール沖縄」の流れを象徴する選挙区として全国的な注目の的に。仲里氏は西銘氏を「保守を名乗る資格がない政権の使い走り」と批判、自らを政府に対して言うべきことは言う「沖縄の保守」と位置づけ、5000票以上の差で“師弟対決”を制しました。
そんな仲里氏が「オール沖縄」の原点とみるのが、2007年に開かれた教科書検定意見撤回を求める県民大会です。沖縄戦の「集団自決」の記述から日本軍の強制を削除した政府に、復帰後最大といわれる11万6000人が怒りの声をあげました。
仲里氏は実行委員長を務め、保守・革新を超えた大会の実現に尽力。その後、10年の普天間基地の「県内移設」反対県民大会、12年のオスプレイ反対県民大会などを通し、保革の距離は縮まっていきます。
戦争ノーの心
仲里氏は、時々のテーマは違っても、「オール沖縄」の流れの根底に、基地のない平和な沖縄を求める県民の心があると指摘します。自らも悲惨を極めた沖縄戦の体験者。地上戦が始まった8歳の時、疎開先で家族とはぐれ山中を3、4日さまよいました。再び家族と合流したとき、背中におんぶしていた幼い弟は栄養失調で亡くなっていました。
「戦争につながるものは一切ノーだ」。仲里氏は自民党時代から憲法9条の「絶対死守」も主張してきました。
「オール沖縄」に加わる「沖縄の保守」の流れは、自民党を除名された那覇市議会「新風会」や名護市議会「市民の響」など地方議会の会派でも生きています。
公約を守り、自らの誇りと良心を貫く「沖縄の保守」。仲里氏は語ります。「住民福祉の向上という究極の基点に立てば、共産党もわれわれもそんなに違いはない」
(つづく)