2014年10月4日(土)
きょうの潮流
溶けたテレビカメラが見つかったのは、14年後でした。43人が犠牲になった1991年6月の長崎・雲仙普賢岳(ふげんだけ)。発見されたビデオテープには火砕流が襲いかかる直前までの様子が映っていました▼撮影場所は多くの報道陣が亡くなった「定点」。当時、避難勧告区域だったにもかかわらず、彼らがそこに陣取った結果、犠牲者はひろがりました。現地にいた本紙記者は炭のように黒焦げになった姿が、いまも脳裏から離れないといいます▼火砕流の恐ろしさを知らしめた雲仙普賢岳の噴火。しかし御嶽山(おんたけさん)の犠牲者はそれを上回りました。戦後最悪となる47人の死亡、さらに行方不明が16人もいると。なぜ、こんなに被害がひろがったのか▼9月に入って地震が増えていた御嶽山。気象庁も情報は出していましたが、噴火警戒レベルは「平常」の1のまま。観測体制や異変を伝える備えも不十分でした。「まさか噴火するなんて」。被害者の多くが想像すらしなかったと口にしています▼登山者の側の備えもあります。10月3日は「登山の日」でした。山に登り自然のすばらしさに触れ、恩恵に感謝する。同時に自然の厳しさも知る機会になります。登山計画や情報の収集をふくめ、危機管理の意識を忘れない、という教訓です▼噴火や地震、豪雨に台風―。地球の鼓動を制御することはできません。しかし、その前に人類は無力であっていいのか。天変地異のとき、身を守るすべを探し求め、実践していく。われわれの生存力もまた試されています。