2014年8月15日(金)
きょうの潮流
海軍中尉だった東中光雄さんは千歳基地の飛行場で「玉音放送」を聞きました。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び…」。ラジオから流れる天皇の言葉を聞きながら、無念さと安どの気持ちが入り交じったといいます▼当時、21歳。特攻隊に志願し、出撃命令を待って訓練に明け暮れていました。幼い頃から皇国教育をうけ、バリバリの職業軍人に。「否」「望」「熱望」のいずれかで答える特攻隊の募集にも「大熱望」と書きました▼「大君の御為(おんため)」がすべてだった軍国青年は、敗戦を迎えて苦悩します。とるべき道は何か、と。そして、生き残りの進路として大学進学をめざします。あの戦争の正体をもとめて(『東中光雄という生き方』)▼戦後の息吹とともに、自由な言論から大いに学び、吸収した東中さん。大学卒業後、新憲法の精神を身につけた“人民弁護士”として活躍。その後は日本共産党の国会議員になって奮闘しました。90歳で亡くなるまで平和の大切さを胸に▼天皇のため、お国のためから、あの日を境に大きく転換していった国のあり方や価値観。20代だった生活評論家の吉沢久子さんは「さあこれからが私たちの時代」という気持ちになったと、その解放感を語っています▼戦争か、平和か―。ふたたび、日本が岐路に立つなかでの終戦記念日。戦後69年の夏、さまざまな場で高齢の戦争体験者が立ち上がり、次の世代に熱い思いを託していました。暗闇の歴史を生きた者として、いま、とるべき道、進むべき道を指し示して。