2014年8月10日(日)
「戦争する国」被爆地は拒否
「核なき世界」と相いれず
「日本の平和を武力で守ろうというのですか?」。9日の長崎平和式典で被爆者代表の城臺(じょうだい)美彌子さんは、集団的自衛権の行使容認や武器輸出にノーを突きつけました。
広島で行われた被爆者団体との懇談(6日)でも、安倍晋三首相は憲法解釈変更の「閣議決定」撤回を求められました。安倍政権が進める「戦争する国」づくりは、二つの被爆地から相次いで否定されたことになります。
首相は式典後の記者会見で、「平和国家としての歩みは変わらない」と強調しましたが、この言葉の空虚さは、地獄の苦しみを味わった被爆者に見抜かれています。
「極限」なら核使用
首相は式典あいさつで「核兵器の惨禍を体験したわが国には『核兵器のない世界』を実現していく責務がある」と強調。昨年9月の国連総会での「核軍縮ハイレベル会合」での「核軍縮決議」や、今年4月に広島で「軍縮・不拡散イニシアチブ」を開催したことを挙げました。
しかし、国連総会の会合で、出席した岸田文雄外相は核兵器の「削減」に触れるだけで、全面禁止には言及していません。
広島での会合で出された宣言は、核兵器の禁止に言及せず、中国や北朝鮮を念頭に「不拡散」をことさら強調しています。会合に出席したNGO(非政府組織)関係者は、「外相会合を先導した日豪両国は核抑止力論に頼っている」と指摘しています。
何より重大なのは、同会合に向けて岸田外相が今年1月20日に長崎で行った政策スピーチで、「核兵器の使用を個別的・集団的自衛権に基づく極限の状況に限定する」と述べていたことです。すなわち、日米が集団的自衛権を行使するような状況を「極限」だと判断すれば、核兵器の使用も許されるというものです。
言葉通りとれない
安倍政権が進める集団的自衛権の行使容認の核心部分は、軍事力を軍事力で押さえつける「抑止力」です。さらに、その「抑止力」の核心は、米国の「核の傘」=「核抑止」です。今なお、米国は日米密約により、日本に核兵器を持ち込む「権利」を有しています。
「戦争する国」づくりと「核抑止力」は一体のものです。逆に言えば、「戦争する国」づくりと「核兵器のない世界」は、根本的に相いれないのです。
首相はあいさつで「非核三原則を堅持」すると言及しています。しかし、憲法の平和原則をことごとく覆した首相の言葉です。被爆者の方々が、この言葉を額面どおりに受け止めることができたのでしょうか。(竹下岳)