2014年7月25日(金)
「閣議決定」 「我が国の存立」を強調するが
過去の侵略戦争の口実にも
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安倍政権が強行した集団的自衛権行使容認の「閣議決定」は、「他国への武力攻撃」を「我が国の存立」が脅かされる場合ととらえ、「自衛の措置」の名目で無制限な海外での武力行使に道を開くものとなっています。「日本の自立」「自衛の措置」は、日本が過去の侵略戦争を発動した際にも使われてきた口実です。
開戦の「詔書」
「帝国の存立亦(また)正に危殆(きたい)に瀕せり…帝国は今や自存自衛の為蹶然(けつぜん)起(た)って一切の障礙(しょうがい)を破碎(はさい)するの外(ほか)なきなり」。1941年12月8日、日本軍によるハワイ真珠湾攻撃の当日に発せられた太平洋戦争開戦の「詔書」です。
日本共産党の志位和夫委員長は15日の党創立92周年記念講演会でこれを紹介し、安倍政権による集団的自衛権の行使容認は「かつての日本軍国主義が『帝国の存立』『自存自衛』の名で侵略戦争を進めた誤りを再び繰り返すもの」だと厳しく批判しました。
日本軍国主義は、足かけ15年にわたるアジア諸国への侵略戦争の発端となった南満州鉄道の爆破事件(柳条湖事件、1931年9月18日)をでっち上げた当時から、同様の口実を使っていました。
関東軍(中国東北部に駐留した日本軍)は自ら引き起こした鉄道爆破を中国側の破壊工作だと発表。「自衛行動」だとして奉天など近隣の中国軍兵営を急襲・占拠し、翌32年2月までに中国東北部の主要都市を制圧しました(「満州事変」)。同年3月1日、関東軍は日本の傀儡(かいらい)国家「満州国」をでっちあげ、旧清朝の廃帝・溥儀(ふぎ)を執政(後に「皇帝」)に担ぎ上げました。
満州事変でも
日本政府は同年9月15日の声明〔1〕で、「満州事変」について「国防上国民的生存上帝国(日本)と不可分」な「重大権益」を守る「自衛権の発動」だと正当化。「我が国防の安危、国民生存の繋(つなが)る所」だとして「満州国」を承認したのです。
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日本は、1937年7月7日の北京近郊での日中両軍の武力衝突(盧溝橋事件)を機に大軍を中国に派兵。侵略を北京、天津などを含む華北から上海、南京にまで拡大。中国全面戦争になだれ込んでいきます。
盧溝橋事件後の日本政府の声明(同年7月27日=〔2〕)でも、日本の軍事行動を「居留民(邦人)保護」の「自衛行動」だと正当化しました。