2014年5月4日(日)
集団的自衛権行使――「海外で戦争する国」への道を許すな
5・3憲法集会 志位委員長のスピーチ
東京・日比谷公会堂で3日に開かれた「5・3憲法集会2014」での日本共産党の志位和夫委員長のスピーチを紹介します。
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みなさん、こんにちは。ご紹介いただきました日本共産党の志位和夫です(拍手)。今日は、会場あふれるたくさんのみなさんにお集まりいただき、まことにありがとうございます。私からもお礼を申し上げます。(拍手)
私たちは、今年の憲法記念日を、安倍政権の集団的自衛権行使容認への暴走という緊迫した情勢のもとで迎えました。今日は、この動きの狙いは何か、この企てを食い止める展望はどこにあるかについて、いくつかの角度からお話しさせていただきます。
集団的自衛権行使、多国籍軍への参加――「海外で戦争する国」づくりの二つの柱
集団的自衛権を行使するとはどういうことでしょうか。端的に言えば、日本に対する武力攻撃がなくても、他国のために武力の行使をするということです。
その行使を容認するとはどういうことでしょうか。「海外での武力行使をしてはならない」という憲法上の「歯止め」を外すということです。
この「歯止め」が外されたらどうなるでしょうか。
アフガン・イラク戦争――「武力行使はできない」という「歯止め」があった
2001年、9・11同時多発テロへの「反撃」として、米国はアフガニスタン報復戦争を開始しました。その時に、NATO(北大西洋条約機構)諸国は「集団的自衛権を行使する」として、軍隊を派兵し、米軍とともにこの戦争をたたかいました。
2003年、米国はイラク侵略戦争を開始しました。この時は、米国をはじめとする「有志連合」と名乗った国ぐには、「国連安保理決議に基づく多国籍軍」と称して、軍隊を派兵してこの戦争をたたかいました。実際には、米国などに武力行使の権利を与える安保理決議などは存在していませんでした。しかし、ともかくも、米国などは「国連安保理決議に基づく多国籍軍」と称してこの無法な戦争に乗り出しました。
この二つの戦争にさいして、日本は自衛隊を派兵しました。しかし、どちらの場合も、自衛隊派兵法の第2条で、「武力の行使をしてはならない」「戦闘地域に行ってはならない」という「歯止め」がかかっていました。当時の小泉首相はよくいっていましたね。“戦闘地域に行くんじゃありません。非戦闘地域にしか行きません。自衛隊のいるところが非戦闘地域なんです”。(笑い)
なぜ二つの戦争のさいの自衛隊派兵法に「歯止め」の条項があったか。「海外での武力行使をしてはならない」という憲法上の「歯止め」があったからです。だから、自衛隊の活動は、インド洋での給油活動や、イラクでの給水活動、空輸活動にとどまったわけであります。
日本を「殺し、殺される国」にしていいのか――断固「ノー」の声を突きつけよう
集団的自衛権が行使できるとなれば、この「歯止め」が外されてしまいます。
アフガン戦争のようなケースでは、日本は、NATOの諸国と同じように「集団的自衛権を行使」し、自衛隊は、戦闘地域まで行って、米軍と一緒に戦闘活動ができるようになるでしょう。
それだけではありません。
イラク戦争のようなケース――「多国籍軍」による戦争のケースであっても、日本は何の「歯止め」もなしにそれに参加し、肩を並べて戦争をすることになるでしょう。そのことは、イラク戦争の当時に、内閣官房副長官補を務めた柳沢協二氏が、イラク戦争のようなケースについて、「これまでは憲法の歯止めで米国の要請でも海外での武力行使を拒否できたが、断れなくなる」とのべているとおりです。
このように、安倍政権の狙いは、「集団的自衛権の行使」、「多国籍軍への参加」の2本柱で、「海外で戦争をする国」をつくろうというところにある――ここに真相があるということを私は訴えたいと思います。(大きな拍手)
この道に踏み込めば、日本の自衛隊が他国の人を殺し、自衛隊員から戦死者が出ることは避けられません。それは生易しいものではありません。
調べてみましたら、アフガン戦争では、派兵した諸国のうち29カ国で3435人の兵士の命が失われ、国連アフガン支援団の資料によると、2007年以降だけで1万7千人を超えるアフガンの民間人の命が奪われています。
イラク戦争では、派兵した諸国のうち23カ国で4807人の兵士の命が奪われ、12万人から13万人のイラクの民間人の命が奪われています。
日本を、このような、「殺し、殺される国」にしていいのかが問われています。若者を文字通りの戦場に送っていいのかが問われています。断固として「ノー」の声を突きつけようではありませんか。(「そうだ」の声、大きな拍手)
「限定行使」論のごまかし――「歯止め」も「根拠」もない
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安倍政権は、国民の批判の高まりを恐れて、こういうことを言いだしています。
「集団的自衛権の行使といっても、無制限に行使するわけではない。『放置すれば日本の安全に重大な影響を及ぼす場合』などに限定して行使するのだ」
「歯止めが法律」――憲法上の「歯止め」は存在しないと自ら認めた発言
しかし、みなさん。いったい「放置すれば日本の安全に重大な影響を及ぼす場合」かどうかを判断するのは誰でしょうか。時の政権ではありませんか。いったん「海外で武力行使をしてはならない」という憲法上の「歯止め」を外してしまったら、あとは政策判断の問題になります。時の政権の政策判断で、範囲は無制限に広がることになります。
実際、集団的自衛権の「限定行使」論を唱えている高村自民党副総裁は、「毎日」のインタビューで、「どう歯止めをかけますか」と問われてこう答えました。
「国会が法律で決めることが一番適当な歯止めだ」
しかし、みなさん。「歯止めは法律」ということになれば、時の多数政党の裁量によっていくらでも範囲が拡大できることになるではありませんか。「歯止めが法律」というのは、裏を返していいますと、憲法上の「歯止め」は存在しないと自ら認めた発言ではありませんか(拍手)。“語るに落ちる”とはこのことだと私はいいたいと思います。(拍手)
砂川事件・最高裁判決は「根拠」にならない――根拠を持たないことを自ら告白
高村氏が、「限定行使」論の唯一の「根拠」として持ち出すのが、1959年の砂川事件最高裁判決です。しかしこの裁判で争われたのは在日米軍が違憲か否かであり、憲法学者がそろって指摘するように集団的自衛権など問題になっていません。高村氏は弁護士だそうですが、いったいどんな司法試験の勉強をしてきたのかと思います(爆笑)。大阪弁護士会の石田会長は、「砂川事件の最高裁判決が限定的に集団的自衛権を認めているなんて答案に書いたら、司法試験に落ちてしまう」(爆笑)と痛烈に批判しています。
だいたい、この判決をみますと、自衛隊の存在さえ“合憲か違憲かの判断はしない”と明記してあります。自衛隊の存在についての憲法上の判断さえ下していない判決が、自衛隊の行動についての憲法上の判断――集団的自衛権を持っているとか、持っていないとかの憲法上の判断など下せるわけはないではありませんか。(拍手)
こういう代物しか「根拠」として持ち出せないことは、根拠がないことの証明ではありませんか(「そうだ」の声、拍手)。それは、彼らが何らのよるべき根拠を持たないことを、自ら告白するものだといわなければなりません。(拍手)
このように、「限定行使」論というのはごまかしです。「限定」というけれども、実態は無限定です。「歯止め」もなければ、根拠もありません。そんなごまかしの議論で、「海外で戦争する国」をつくるということは絶対に許すわけにはいかないということを訴えたいと思います。(「そうだ」の声、大きな拍手)
「立憲主義を守れ」――この一点で広大な共同を築き安倍改憲策動を打ち破ろう
みなさん。安倍政権の改憲策動は、思惑通りに進んでいるわけではありません。
彼らは、政府の勝手な憲法解釈の変更で集団的自衛権行使容認を進めようとしています。これにたいして、多くの人々から「立憲主義の否定だ」との批判が巻き起こっていることは重要であります。
“憲法について見解が対立する問題は、便宜的な解釈変更をすべきではない”(小泉答弁)
近代の立憲主義は、主権者である国民が、憲法によって国家権力を縛るという考え方にたっています。国民を縛るのが憲法ではありません。権力を縛るのが憲法であります。だから憲法の解釈も、時の権力者によって、自由勝手に変えることが許されるというものではありません。もしもそれが許されたら憲法が憲法でなくなってしまいます。
このことは歴代保守政権も認めてきたことでした。2004年、当時の小泉純一郎首相が行った答弁では、集団的自衛権と憲法との関係について次のように述べています。
“解釈変更が便宜的、意図的におこなわれるならば、憲法に対する国民の信頼が損なわれてしまう。憲法について見解が対立する問題は、便宜的な解釈の変更をすべきではない”。
ここには保守政治なりの一定の節度や自制があります。この点では、あの小泉首相がまともに見えてきます。(笑い)
憲法などお構いなし――あからさまな立憲主義の否定は許せない
安倍首相には、この自覚がまったくありません。彼は、自分が憲法に縛られているという自覚がありません(笑い)。こういう人が首相をやっていること自体が、日本の大問題であります。(「そうだ」の声、笑い、拍手)
首相は、「(政府の)最高責任者は私だ。政府の答弁は私が責任をもって、そのうえで選挙で審判を受ける」などとのべました。“総理大臣は自由に憲法解釈を変更できる”、“憲法よりも総理大臣が上だ”といわんばかりの発言です。ここにあるのは、許しがたいあからさまな立憲主義の否定そのものではないでしょうか。(「そうだ」の声、拍手)
安保法制懇の北岡伸一座長代理は、「東京」のインタビューで、「憲法上の縛りを軽視しているのでは」という問いに答えて、こう言い放ちました。
「憲法は最高規範ではなく、上に道徳律や自然法がある(会場にどよめき)。憲法だけでは何もできず、重要なのは具体的な行政法。その意味で憲法学は不要だとの議論もある。(憲法などを)重視しすぎてやるべきことが達成できなくては困る」
そこまで言うかという発言です。「やるべきこと」を「達成」するためには、憲法などお構いなしといわんばかりの発言です。それを言ってはおしまいという(笑い)、憲法否定論ではありませんか。こういう人が安保法制懇の責任者をやっている。安保法制懇は、連休明けに報告書を出すといっていますが、その報告書がまともなものにはなりえないということを、出る前から言っておきたいと思います。(笑い、拍手)
かつての論争の相手が、いまや共同の相手に
この横暴勝手な暴走に対して、歴代保守政権を支えてきた自民党の元幹部、改憲派の憲法学者、歴代内閣法制局長官などが、次々に反対の論陣を張っています。
私自身でいえば、かつて国会論戦や政党討論会などで、論戦をやった相手方の方々が、ずらりといまや理性の声をあげている。かつて論争の相手だった方々が、共同の相手になっているというのは、大変うれしいことであります。(拍手)
みなさん、憲法9条に対する立場の違いを超え、「立憲主義を守れ」「民主主義を守れ」、この一点で、広大な共同を築き、安倍首相の改憲策動を打ち砕こうではありませんか。(「そうだ」の声、大きな拍手)
北東アジアの平和と安定をどうやって築くか
みなさん。安倍政権は、北朝鮮や中国の動向をあげ、「日本を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している」として、集団的自衛権行使容認の口実にしています。
たしかに、北東アジアは、いくつもの紛争と緊張の火種を抱えています。しかし、その解決のうえで、何よりも大切なことは、道理にたった外交交渉による解決、平和的解決に徹するということではないでしょうか。(拍手)
まともな外交戦略をもたず、軍事的対応の強化のために紛争を党略的に利用
この点で、4月24日行われた日米首脳会談は、日米両政府の食い違いが露呈する会談となりました。
首脳会談後の記者会見で、オバマ大統領は、尖閣諸島について、「日本の施政下にあり、日米安保条約第5条の適用範囲だ」とのべました。同時に、大統領が、この問題について、「対話を通じて平和的解決をめざすべきだ」「エスカレートし続けるのは深刻な誤りだ。信頼醸成措置を講ずるべきだ」と繰り返し強調したことは、注目すべきであります。
一方、安倍首相は、この問題について、「力による現状変更に反対」とのべるだけで、平和的交渉の努力については一切の言及がありませんでした。ここが問題ではないでしょうか。
北東アジアの平和と安定を築くための、まともな外交戦略を持っていない。そればかりか、靖国参拝という対話の扉を自ら閉ざす間違った行動を平然とやる。そして、もっぱら集団的自衛権行使容認――軍事的対応の強化という目的のために紛争を党略的に利用する。これが安倍政権の姿勢であります。
これでは地域の緊張をいたずらに激化させ、「軍事には軍事」という危険な軍事的対応の悪循環に陥るだけではないでしょうか。
こうした有害で危険な道ときっぱり決別することが、いま日本に強く求められていることを、私は訴えたいと思うのであります。(拍手)
9条を持つ日本こそ、平和の地域共同の枠組みづくりの先頭に
私たち日本共産党は、今年1月の党大会で、つぎの四つの目標と原則にたった「北東アジア平和協力構想」を提唱しました。
一つ目は、域内の平和のルールを定めた北東アジア規模の「友好協力条約」を締結することです。
二つ目は、北朝鮮問題を「6カ国協議」で解決し、これを平和と安定の枠組みに発展させることです。
三つ目は、領土問題の外交的解決をめざし、紛争をエスカレートさせない行動規範を結ぶことです。
そして四つ目は、日本が過去におこなった侵略戦争と植民地支配の反省が不可欠の土台となるということです。
これは決して理想論ではありません。
すでに東南アジアの国ぐに――ASEAN諸国が実践している「東南アジア友好協力条約」(TAC)など、「紛争の対話による解決」をめざす平和の地域共同の枠組みを、北東アジアでも構築しようというのが私たちの提案です。
憲法9条を持つ日本こそが、こうした平和の地域共同の枠組みづくりの先頭に立って頑張るべきではないでしょうか。(拍手)
みなさん。世界に誇る日本の宝――憲法9条を守るとともに、その生命力を生かして、アジアと世界の平和に貢献する新しい日本をつくろうではありませんか。ここにこそ私は未来があると確信するものです。ともに頑張りましょう。(長く続く大きな拍手)