2014年4月27日(日)
2014 とくほう・特報
砂川闘争の現場から見えた
集団的自衛権 「粗末な話」
安倍晋三首相らが海外での武力行使につながる集団的自衛権の行使容認の根拠にしようと、砂川(すながわ)事件最高裁判決(1959年12月)をもっともらしく引用しています。「必要な自衛のための措置をとることは当然だと認めている」「集団的自衛権を否定していない」というのです。当事者の話に耳を傾け、事件の現場を歩くと、この理屈が一切成り立たないことが見えてきます。 (竹原東吾)
上訴審(最高裁)で弁護団事務局長を務めた内藤功(いさお)氏(83)=元日本共産党参院議員=が判決を解説します。
「集団的自衛権を持っているのかについて審議されたのかといえば、全然ない。“砂川判決が認めている”などというのは片腹痛い。参加した弁護人としては『論点になっていない』の一言で斬り捨てるしかありません」内藤氏によれば、裁判で議論したのは現在の個別的自衛権―日本に武力攻撃があったらどうするか―です。当時は自衛隊ができて間もない頃で、“外国を助けに行く”ことは誰も考えず、集団的自衛権が議論されるはずがないと一蹴します。
元被告の武藤軍一郎氏(79)=九州大学名誉教授=も「(判決から)ぜんぜん読み取れない。“書いていないから、そう読んでもいい”というのはむちゃくちゃです。結局、彼らは何もよるべき根拠を持たない、切り札がないことを自ら暴露したようなものです。まことに粗末な話です」。
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「言いがかりもはなはだしい」
伊達判決の元裁判官が批判
独協大名誉教授 松本一郎さん
“駐留米軍は憲法違反”と断じた砂川事件第一審・東京地裁判決(伊達(だて)秋雄裁判長)、いわゆる伊達判決を出した裁判官の一人、松本一郎独協大名誉教授は次のように語っています。
伊達判決にせよ、最高裁判決にせよ、「集団的自衛」というものは意識に上がっていないし、考えたこともない。集団的自衛の根拠にするのは言いがかりもはなはだしい、牽強付会(けんきょうふかい)(=自分の都合よく強引に理屈をこじつけること)だとはっきり申し上げたい。必要なのであれば、憲法改正を正面からやるべきです。砂川判決をひねくりまわして使うのは、汚いやり方です。
砂川闘争の現場を歩く
「駐留米軍は憲法違反」
今に生きる伊達判決
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東京都立川市にある「団結横丁」。旧米軍立川基地の拡張予定地だった区画を南北に通る小道です。緑色のフェンスで区切られ左右に広がるのが国の土地なら、周囲に点在する宅地は収用を拒否した民間の土地。「土地に杭(くい)は打たれても心に杭は打たれない」を合言葉にした闘争の足跡が、今もこうした区画に残されています。
「横丁」を抜けると、「突き当たりが滑走路です」。砂川(すながわ)闘争を支援してきた島田清作さん(75)=元立川市議=が案内します。「ここから朝鮮やベトナム(戦争)に米軍機が飛んでいったんですね」
砂川闘争は1955年、砂川町(現立川市)で米軍基地拡張に反対して起こった住民闘争です。砂川事件もこの過程で起きました。「砂川闘争ゆかりの地」と書かれた案内板にこう記されています。
〈住民の生活に軍事基地はいらない、戦争の過ちをくり返さない、平和と人間尊重、地方自治が何よりも大事だと訴えつづけ、基地拡張を強行した国の計画を断念させました〉
島田さんは「僕の人生の出発点は砂川闘争です。闘争によって基地拡張が取りやめとなり、今の立川の街がつくられてきました。(判決で)『集団的自衛権が認められる』というこじつけや悪用をしてもらいたくない」。
基地闘争の推進力
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59年3月30日、砂川事件の第一審・東京地裁で伊達(だて)秋雄裁判長が出した判決が、いわゆる伊達判決です。7人の被告人全員を無罪にしたうえで、次のような踏み込んだ判断を示しました。
〈わが国内に駐留する合衆国軍隊は憲法上その存在を許すべからざるもの〉
伊達判決を書いた3人の裁判官の一人、松本一郎独協大名誉教授(83)が語ります。
「当時私は憲法と正面から向きあい、『駐留米軍は憲法と真正面からぶつかる』ということだけを考えていました。判決後、マスコミは大騒ぎでしたが、『当然の判決だったのに、なぜこんなに騒ぐのか』と思っていました」。判決の日、伊達裁判長は松本氏にそっと辞表を見せ、判決にのぞむ覚悟を示したといいます。
内藤功弁護士は「最高裁判決だけが言われていますが、われわれにとって心外なのは、砂川判決といえば伊達判決のことです。駐留米軍は憲法9条2項の戦力にあたり、憲法に違反すると明確に喝破したことが、今日に生きる伊達判決の意義です。基地反対闘争を推進する力になります。伊達判決のほうが正しいと押し出していく必要があります」。
“汚染”された最高裁
砂川事件元被告の土屋源太郎氏(79)は、伊達判決を破棄した最高裁判決について「汚染された裁判だ。こんなインチキな判決を引用するばかげた話はない」と声を荒らげます。
2008年4月、国際問題研究者の新原昭治氏が入手・公表した米国解禁公文書から、砂川最高裁判決をめぐる次のような事実が明らかになったからです。
―伊達判決の翌日から当時のマッカーサー米駐日大使が藤山愛一郎外相に「日本政府が迅速な行動をとり東京地裁判決を正すこと」を求め、最高裁への跳躍上告を勧めていた。
―米大使と当時の田中耕太郎最高裁長官が密会し、その中で田中長官が公判日程や判決の見通しを語っていた。
松本元裁判官は田中長官らによる密議について「裁判官の風上にもおけません。極端にいえば『売国』に近いと思っています。これ以降、裁判所が憲法と真正面から向き合うことを避ける傾向がでてきた気がしています」。
伊達判決に干渉を加える米国、それを受け入れ司法の独立を放棄した日本の異常な対米従属―。新原氏は「砂川最高裁判決はその成り立ちからして、まったく正当性がありません。歴史的な事実関係が分かった以上、この判決によって何かを合理化できるものではありません」と話します。
やぶから“大蛇”
土屋氏らを共同代表とする「伊達判決を生かす会」は、最高裁は「公平な裁判所」(憲法37条)とはいえない「汚染された裁判所」だったとして、再審・免訴を求める準備を進めています。
砂川事件が再び注目されたことについて、土屋氏は「最高裁判決はインチキだと証明してくれと言われているようだ」と語ります。元被告の武藤軍一郎氏も「(安倍内閣は)やぶをつついて大蛇を出したようなものです。私はジッとしていられない。ゆがめられた最高裁判決を語っていかないといけない」と意気軒高です。
松本元裁判官は「伊達判決という『死んだ子』がよみがえってきた感じがしています」と語ります。
「本当によみがえるかどうかはこれからの問題でしょう。伊達判決は私の誇りですし、やるべきことはやりました。この判決を若い世代がどう受け取ってくれるかです。結局、集団的自衛権の問題は、若い人たちが矢面に立たされ、未来がどうなるかという問題ですから、これを機会にいろいろと考えてくれるといいなと思います」
砂川事件 1957年7月に米軍立川基地拡張に反対する労働組合員や学生らが、境界柵を壊し敷地内に数メートル立ち入ったとして日米安保条約に基づく刑事特別法に基づいて起訴された事件。東京地裁は59年3月、米軍駐留は違憲であるとして無罪判決を出しました(伊達判決)。日本政府は最高裁へ跳躍上告。同12月、最高裁は、憲法は「自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛のための措置」は禁止していないことなどを理由に、一審判決を破棄しました。
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