2014年4月22日(火)
主張
安倍首相真榊奉納
国際的批判に反省はないのか
安倍晋三首相に、批判にこたえる立場はないのか―昨年末の靖国神社参拝で、国内はもとより韓国や中国、アメリカなど国際的な批判をあびた安倍首相が、21日から春の例大祭が始まった靖国神社に神道の供え物である真榊(まさかき)を奉納しました。「靖国」参拝ではアメリカからさえ「失望した」といわれたのに、批判にこたえる姿勢はまったくありません。第2次安倍政権の発足から1年4カ月近くたつのに、韓国や中国との首脳会談のめどは立ちません。日米首脳会談を目前にしたこの時機に「靖国」に真榊を奉納した安倍首相の認識が、根底から問われます。
「靖国」への首相の執念
安倍首相の真榊奉納に先立って、新藤義孝総務相と古屋圭司国家公安委員長が相次いで靖国神社を参拝しました。春の例大祭にあたっては田村憲久厚生労働相も真榊を奉納しています。首相をはじめ、安倍内閣の姿勢は異常です。菅義偉官房長官が記者会見で「私人としての行動に政府として見解はいわない」と、判で押したような発言を重ねているのは、ことの重大性をわきまえず、政府として肯定・弁護しているのも同然です。
安倍首相は一昨年末の政権復帰以来、昨年春と秋の例大祭では真榊を奉納、8月の終戦記念日には代理を参拝させて玉ぐし料を納めたうえ、就任から1年の昨年12月には自ら参拝を強行し、内外の批判をあびました。第1次政権時代にも真榊を奉納したものの、首相として参拝できなかったことを「痛恨の極み」と公言していた安倍首相の、「靖国」参拝への執念は異常なものがあります。
ことは個人の信念や宗教観の問題ではありません。靖国神社は戦前から戦中にかけ当時の天皇制政府が国民を侵略戦争に動員する道具となり、国の管理ではなくなった戦後も「国営化」や公式参拝の策動が絶えず、現在も過去の侵略戦争を「自存自衛の正義のたたかい」などと美化する、特別の施設です。侵略戦争を推進し戦後の国際法廷で裁かれたA級戦犯も「昭和殉難者」と称して祭られています。首相や閣僚がその靖国神社に参拝し、真榊や玉ぐし料を奉納すること自体、侵略戦争を肯定する立場に自ら身を置くことを認めるものなのは明らかです。
中国や韓国など日本の侵略戦争によって大きな犠牲を被った国々や日本とたたかったアメリカなどが「靖国」参拝に批判の声をあげるのは当然です。同時に日本の国民にとっても「靖国」参拝は見過ごせません。アジア・太平洋戦争では2000万人を超すアジアの人びととともに310万人以上の国民が犠牲になりました。誤った戦争に国民を駆り出したA級戦犯まで合祀(ごうし)し、侵略戦争を肯定・賛美する「靖国」への首相や閣僚の参拝は、国民の平和の願いを踏みにじるものとしても重大です。
国際社会に通用しない
戦後日本国民は「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにする」(憲法前文)ことを誓ってスタートしました。国際社会でも、日本やドイツなどが起こした侵略戦争の否定は、戦後の出発点です。侵略戦争の肯定・美化は通用しません。
安倍政権が「靖国」参拝の策動をやめようとしない限り、国民の間でも国際社会でもいっそう孤立と矛盾を深めるのは明らかです。