2014年4月17日(木)
重慶大爆撃賠償請求訴訟
原告ら 尋問開始
東京地裁
旧日本軍が日中戦争中に、国民党政府の臨時首都が置かれた重慶市や四川省全域に行った重慶大爆撃の被害者188人が日本政府に謝罪と賠償を求める訴訟の26回目の裁判が16日、東京地裁(村田斉志裁判長)で開かれました。同訴訟は昨年10月の前回裁判で意見陳述が終わり、今回から原告・証人に対する尋問が始まりました。
北京大学で近現代史や日中関係史を研究する徐勇教授は、旧日本軍が、製塩産業の盛んな四川省自貢市から他都市への塩の供給を遮断することを目的の一つに自貢市への爆撃を行ったことや、軍事施設とは関係のない同市の市街地や集落まで攻撃目標としていたことを旧日本軍の戦闘詳報などから明らかにしました。
重慶市の原告・粟遠奎さん(80)は、旧日本軍の度重なる爆撃により家と全財産を失い、姉2人が犠牲となった被害状況を声を詰まらせながら語り、「正義の立場に立って公正な判断をしてほしい」と訴えました。
自貢市の羅淑琴さん(67)は、元原告で2009年12月に90歳で死去した母・羅富易さんに代わり証言。41年の自貢大爆撃で重傷を負って右足の膝から下を失い、障害者として生きた母の苦労を涙ながらに語り、日本政府に謝罪と賠償を訴えるとともに「これ以上の戦争はやめて互いに永遠に平和を続けていきたい」と求めました。
重慶大爆撃 日中戦争中の1938年2月から44年12月の間、旧日本軍が、中国の国民党政府の臨時首都が置かれた重慶市や四川省全域で200回以上にわたって断続的に行った無差別爆撃。2006年3月に被害者ら40人が日本政府に謝罪と賠償を求めて提訴し、2次から4次までの追加提訴を含め188人が原告となっています。