2014年4月15日(火)
きょうの潮流
注目の人物、籾井(もみい)勝人NHK会長がおとといテレビに出演。「視聴者にご心配をおかけした」とおわびしました。しかし、肝心の「(『慰安婦』は)どこの国にもあった」などの発言を反省してはいません▼公共放送として「信頼」を得ることにもふれ、真っ先にあげたのがテレビ小説「花子とアン」でした。翻訳家・村岡花子の生涯を描きます▼花子は放送とも縁が深い。1932年(昭和7年)にNHKのラジオで始まった「子供の新聞」の伝え手でした。「子供の時間」という番組の1コーナーです。美輪明宏さんが「ごきげんよう」と語るのは、花子が実際にラジオで使っていた言葉です▼日中戦争のさなか、「子供の時間」は、「ラジオ少国民の時間」と改称されます。41年12月8日、花子のもとに突然、放送局から電話がかかってきました。「休んでもらいたい」。花子自身が後に「その夜の『コドモニュース』は勇ましい(?)男の声で伝えられた」と記しています。間もなく辞表を提出。「私の家の窓は閉じられた」と当時の心境をつづっています。花子はやがて大政翼賛会の活動へとのみ込まれていきました▼戦争と放送のかかわり、花子の人生の曲折。籾井会長が「おわび」の中で繰り返した「公正・公平」に描けるか、注目したいところです▼現在、政権は「戦争する国づくり」へまっしぐら。籾井会長のもとで、NHKの「窓」が再び閉ざされないか。戦時中と違うのは、視聴者がそれを許さない声をあげていることです。