2014年4月13日(日)
主張
教育勅語美化発言
「まっとう」という見識を疑う
安倍晋三政権の閣僚や首相側近らによる侵略戦争の責任を否定するなどの問題発言が相次いでいますが、下村博文文部科学相が、戦前の軍国主義教育を推進する主柱だった教育勅語について「中身はまっとうなことが書かれている」と発言したのも見過ごせません。安倍政権の「教育再生」を担当する下村氏の発言は、教育の面から「戦争する国」づくりを推進する危険を示しています。
侵略戦争に駆り立て
教育勅語は戦前の教育の基本原理を示すものとして1890年に明治天皇の言葉として出されました。その結論は「一旦緩急(かんきゅう)あれば義勇公に奉じ以て天壌無窮(てんじょうむきゅう)の皇運を扶翼(ふよく)すべし」、つまり「重大事態があれば天皇のために命を投げ出せ」と子どもたちに徹底して教え込むものでした。親孝行や兄弟仲よくするなど、自然に見えることも徳目として並べていますが、それらをすべて天皇への命がけの忠義に結び付けたのが特徴です。この中身を「まっとう」という下村氏の発言は、国民主権や基本的人権を定めた憲法に基づく教育の否定につながるものです。文部科学行政のトップとしての資格そのものが問われます。
戦前は教育勅語の内容をたたきこむことが教育の最大の目的とされました。新年(1月1日)や「紀元節」(2月11日)などの儀式のたびに校長らが「奉読」し、その間は身動きすることも、せき一つすることも許されませんでした。子どもたちは一字一句暗記、暗唱させられました。こうして子どもたちを天皇と国家に奉仕する「臣民」として育て、侵略戦争に駆り立てたのです。教育勅語は、下村氏がいうように「軍国主義教育推進の象徴のように使われたことが問題」どころの話ではなく、子どもたちに「天皇に命をささげる」という精神を植えつける中心に位置づけられていたのです。
敗戦後は、戦前への痛苦の反省から、子どもの教育を受ける権利が憲法で保障され、「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成」を目指す旧教育基本法が制定されました。教育勅語はその理念に根本的に反するとして、1948年に衆議院で「排除決議」が、参議院で「失効決議」が採択され、公式に否定されました。
下村氏が教育勅語の原本が50年ぶりに見つかったことにかこつけて、「国民が改めて学ぶことは大変重要」と述べたことは、安倍政権が推進する「道徳の教科化」の危険性を浮き彫りにしています。「道徳の教科化」は国民が願う道徳教育とは異質のもので、国が偏狭な「愛国心」など「道徳」の内容を決め、教科書に書かせて教えさせ、身に付いたかどうか心の中まで評価しようというものです。それは天皇が教育勅語で「道徳」の内容を定め、「修身」などで教え込んで子どもを戦争に駆り立てた戦前の教育体制をほうふつさせます。
憲法踏まえた教育を
安倍政権は「教育再生」の名で、教育の自主性を奪い政治の介入を強化する教育委員会制度の改悪を企てるなど、教育を「戦争をする国」づくりのための“人づくり”の場に変えようとしています。
安倍政権の「教育再生」を許さず、個人の尊厳や基本的人権を尊重し平和主義を掲げる憲法を踏まえた教育を守り進めるため、世論と運動が求められます。