2014年4月6日(日)
JR北海道再生へ必要なものは
分割・民営化に反対した鉄道マンは語る
レールの異常放置、検査データの改ざんと人命を預かる鉄道事業にあってはならない事態をくり返すJR北海道。島田修新社長は「安全最優先」を掲げ、有識者の検討委員会も改ざん防止の提言をまとめましたが、再生はできるのか。ある鉄道マンの人生を通じて見えるものは―。(取材班)
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「冬はマイナス30度、夏30度になる温度差の激しい所です」。こう話すのは、北海道北部の音威子府(おといねっぷ)村の杉山均さん(55)です。
19歳でJR発足前の国鉄に就職し、音威子府保線区で働いてきました。1987年4月の分割・民営化の際、国労(国鉄労働組合)に所属していたことを理由にJR北海道を不採用になりました。
父の働く姿
音威子府駅近くの渡線橋に上り、指さす先に、雪にすっぽり覆われた保線区で使う機材の倉庫が見えます。
「ここでJR社員とよくすれ違うんです。50代の私は、いまでも保線の仕事はやれると思っています」
鉄道マンを志したのは国鉄で働いていた父親の影響でした。保線区の責任者で、住んでいた官舎には勤務を終えた労働者たちが集まり、酒食をともにしながらしょっちゅう仕事の話をしていました。
「おやじの働く姿にあこがれていました。俺も国鉄に行きたいと心に決めていました」
3歳上の兄も国鉄労働者です。分割・民営化前に呼びだされた上司から「国労では新会社に行けない」といわれ、やむなく国労を脱退し、JR総連(連合加盟)に加入します。
職場で倒れ
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貨物駅の助役の兄は「休みにほとんど家にいたことがない」と家族がいうほど働きづめに働き、2007年、職場で倒れ、51歳で帰らぬ人となりました。
「国労の脱退組だからか、随分無理をしていたようです。通夜で若い職員が『休みも取らないから』と兄貴にすがって泣きました。上司は遺族に見られるのを嫌って、会場から引きずりだしました」と杉山さん。
国労や全動労(現建交労鉄道本部)は「安全が脅かされる」と自民党政府がすすめていた分割・民営化に反対しました。国鉄当局は政府の方針に批判的な両労働組合を排除します。分割・民営化に賛成したJR総連は99・4%がJRに採用されますが、国労は47%、全動労は28%でした。
音威子府では不採用になった駅や保線の労働者ら48人が、道内では453人が国労闘争団を結成し、全動労争議団も64人がたたかいに立ち上がります。2010年4月に解決をみるものの、一人として職場復帰は果たせませんでした。杉山さんらは音威子府で大自然との共生を目指すNPO法人を立ち上げ、活動しています。
道内のある連合労組幹部は、多数を占めるJR総連について「暴力集団『革マル派』が牛耳る御用組合」といいます。JR北は、協力して利潤を増やす組合とは協議し、ものをいう労働組合を無視する偏った労務政策を長年続けてきました。
元国労札幌闘争団長(67)は「相次ぐ事故や不祥事を引き起こす背景には、もうけを優先し、安全を置き去りにしてきたJR北の企業体質があるのです」と厳しく指摘します。
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「JRは何よりも安全を第一に」との世論が広がっています。道内各地でシンポジウムや講演会、門前宣伝が行われています。
3月21日には、札幌市北区で日本共産党地区委員会が「JR北海道事故問題を考える集い」を開きました。
研究者や国労道本部役員、市民らが参加し、「第三者委員会のような組織に自治体も入り、きちっと監視すべきだ」「職場にある四つの労働組合すべてと話し合い、社員が結束できる企業風土を確立してほしい」と熱心に話し合いました。