2014年3月29日(土)
きょうの潮流
「解放されたよ」。48年のときを経て、つぶやかれた万感の思い。半生にわたり死刑囚として捕らわれてきた元プロボクサー袴田巌(いわお)さん。心身は衰弱し、車いすから望んだ夢見た世界でした▼清水市のみそ製造会社の専務一家4人が殺される凄惨(せいさん)な事件が起きたのは1966年。ビートルズが来日し、テレビではウルトラマンが始まったころから、袴田さんは「無実」の罪で獄中生活を強いられてきました▼当初から静岡県警の捜査には問題がありました。自白偏重で、それも連日平均12時間にもおよぶ取り調べで「自供」を強要。68年に死刑判決を出した一審でさえ、袴田さんの供述調書45通のうち44通を証拠として認めませんでした▼物的証拠もずさん。パジャマとされていた犯行時の着衣は公判中、みそのタンクから突然見つかった5点の衣類に変わります。しかし、この“唯一の証拠”が今回、DNA鑑定によって再審の道を開きました▼「私はやっていません」。一審の主任裁判官だった熊本典道さんは、法廷で会ったときの袴田さんの表情が忘れられません。あまりにひどい捜査と裁判に身をおき、自分が裁かれている感覚が消えなかった、と(『裁かれるのは我なり』)▼再審決定は、捜査機関による証拠捏造(ねつぞう)の疑いにも言及。国家が無実の個人を陥れたとして、「これ以上、拘置をつづけるのは耐え難いほど正義に反する」とまで踏み込みました。真実を覆い隠し、半世紀もの間、人間の尊厳と自由を奪った警察や検察の責任は重い。