2014年3月10日(月)
クリミアのロシア編入 大軍展開下での「住民投票」
主権と領土侵す国際法違反
ウクライナのクリミア自治共和国の議会が6日、ロシアへの編入を求める決議を採択し、16日に住民投票を実施することをきめたことで、ウクライナへのロシアの介入は新たな事態に入っています。ロシアの国会も編入を可能とする法改正を準備しています。これまでクリミア半島へのロシアの軍事介入を批判していた国連安保理や欧米諸国などはクリミアの編入を違法とする批判を強めています。(片岡正明)
ウクライナ憲法 「完全な違反」
国家としてのウクライナの承認なしにクリミア自治共和国の編入が可能なのか。今回の編入問題についての各国からの批判の根底にある疑念です。
クリミア自治共和国議会の決議後に開かれた安保理会合では、多くの国が編入問題での住民投票実施について「ウクライナ憲法に対する完全な違反」との声があがりました。
一国の一地域が一方的に、分離・独立、他国への編入を決めることは、国際的に認められていません。今回の場合、クリミア内のロシア人以外のウクライナ人、タタール人など少数民族との話し合いや、ウクライナの中央政府との交渉といった、民主的手続きもありません。
何より問題なのは、事態がロシアの軍事的圧力の下で進んでいる、ということです。
ロシアがクリミアに展開している軍の規模は、2万とも3万ともいわれています。そうしたなかでの「住民の自由な意思表明」はありません。
結局、クリミアの分離とロシア編入は、ロシア政府も認めてきたウクライナの主権と領土保全侵害となり、事態をさらに複雑にするだけです。どの国も今の事態を支持していないのは当然です。
ロシア軍事介入「止めなければ」
「ウクライナへの軍事介入反対」―2日と4日、モスクワやサンクトペテルブルクでデモが催されました。認可されていないデモのため、2日のデモでは360人以上が警察に拘束されました。
ロシア紙ノーバヤ・ガゼエタのビデオでは、赤の広場や国防省前で「戦争するな」と人々が一斉に叫ぶ姿と、デモ参加者を拘束する警察官の姿が報道されました。
参加者の女性の一人は「子どものことが心配です。ロシア政府のクリミアへの軍事介入を止めなければ、戦争になる」と英BBC放送ロシア語版に語りました。
欧米各国のロシア大使館前や欧州連合(EU)本部前でも、デモ参加者が「プーチンはウクライナから手を引け」などのプラカードを掲げました。
3日の国連安保理では、ロシアのチュルキン大使が少数派のロシア系住民がウクライナ暫定政権に弾圧されようとしていると、ロシア軍の活動を正当化しようとしたのに対し、主権侵害とする批判が集中しました。
イギリスのライアルグラント大使は「21世紀の世界でこのような国際法違反は許されない」と非難しました。
ことの発端は、ウクライナの政変です。
2013年11月、ウクライナのヤヌコビッチ政権が欧州連合との連合協定の署名を直前になって拒否。協定署名を求める反政府勢力が首都キエフ中心部の「独立広場」を中心に連日、デモを開催。政権側がデモ排除で治安部隊を投入したのに対し、反政府側に過激派や極右勢力も加わり、衝突。2月下旬には双方合わせて80人以上の死者が出ました。
2月22日には、ヤヌコビッチ大統領が首都キエフから逃亡、ウクライナ最高会議(議会)が同大統領の解任を決議し、27日までに暫定政府を成立させました。
これに対し、ロシアは、政権交代を「武装反乱だ」(メドベージェフ首相)と主張。
プーチン大統領は「ウクライナの政治社会情勢正常化までロシア軍をウクライナ領内で使用する」と表明し、ロシア上院も承認したのです。
ソ連崩壊後に、主権尊重の協定
ウクライナは旧ソ連崩壊の1991年に独立、人口4500万人と旧ソ連でロシアに次いで大きな国です。
実はロシアとウクライナは、ソ連崩壊後、互いの主権と国境を尊重する協定を結んでいます。
旧ソ連軍に属したウクライナにあった核兵器処理についてと、クリミア半島に駐留している黒海艦隊の所属についての協定です。
ウクライナの核兵器を撤去する94年のブダペスト覚書ではロシアを含む核保有国が「ウクライナの独立、主権、現国境を尊重する」と明記。また97年の「ロシア黒海艦隊のウクライナ駐留での地位と条件協定」でも「主権尊重と内政不干渉」をうたいました。
ロシアの軍事介入は、これらの協定に違反しています。また「いかなる国の領土保全または政治的独立に対する」武力行為を禁止する国連憲章に反することも明らかです。
また、国連総会が74年に採択した「侵略の定義に関する決議」では、他国の港や沿岸の封鎖、駐留軍の合意に反する使用、武装集団・非正規軍の派遣への関与も「侵略行為」とされています。
クリミア半島
クリミア半島は、黒海に突き出た半島で面積は2万6000平方キロメートル。黒海を押さえる海軍の拠点です。18世紀後半から帝政ロシアの一部となりました。
ソ連では、ロシア共和国の一部でしたが、1954年にソ連共産党のフルシチョフ第1書記(ウクライナ系)が1954年に帰属をロシアからウクライナ共和国に変更。人口約200万人の構成はロシア系住民が58%、ウクライナ系が24%、トルコ系の少数民族クリミア・タタールが12%(2001年)となっています。
ソ連崩壊、ウクライナ独立後に、半島の帰属をめぐりロシアとウクライナが対立。その後、ウクライナに属するクリミア自治共和国となりました。
セバストポリ市は自治共和国に属さない特別市で、ロシアの黒海艦隊の海軍基地があります。