2014年2月3日(月)
被災者医療費 免除の再開・拡充を
宮城 肺がん患者の苦悩
高額負担で治療中断・再開も“車処分条件”
宮城県は、昨年3月末で東日本大震災被災者の医療費(窓口負担)、介護保険利用料の免除を打ち切りました。生命を脅かされる人々が現実に生まれています。(佐藤幸治)
被災者の自立支援をしているボランティア団体「ライフワークサポート響」代表の阿部泰幸さんに同行して、気仙沼市の仮設住宅に暮らす63歳の男性を訪ねました。
「灯油高いから」と、照明と暖房をつけずに、うす暗く肌寒い部屋でベッドに座っていました。男性は、2010年からの肺がん治療で、高額な医療費を払い切れずにいました。
津波で自宅が流され、震災後、生活はさらに厳しくなりましたが、医療費免除で治療は続けていました。
免除が打ち切られ、昨年4月最初の週の医療費は4万円。滞納分も40万円以上残っていました。年金(船員年金)は月13万円。高額な医療費を支払うと生活が破たんします。男性はがん治療を中断しました。
「どうせ俺は」
「どうせ俺なんて見捨てられた存在だ。治療なんていらない。ひっそり死んでいけばいいんだ」と阿部さんに言ったこともありました。
阿部さんの励ましと支援を受けて、昨年12月、男性は治療再開を決断し、市に支援を求めました。
市は、医療費が5・1万円を超えた分については、生活保護(医療扶助)で給付することを認めましたが、所有している軽自動車の処分を条件にしました。
生活保護で病院に行くタクシー代は支給されますが、仮設住宅から最寄りの店までは、約3キロの山道を下る必要があります。「薬の副作用でつらく、ごみを捨てに行くだけで息切れがする。歩くのは大変だ」というように、外出には車が必要です。
男性は、車の処分は不安でしたが、治療を続けようと、生活保護を利用する事を決めました。「治したい意思はずっとあったし、治療を中断している間は不安だった。まだ世の中に未練があるしね」
運動の先頭に
被災者を先頭に免除再開の運動を広げたなかで、国は昨年末、国保の自治体負担に対する支援の拡充をすることを示しました。
今年に入って、気仙沼市をはじめ、免除再開を表明する自治体も出てきました。ただ、国の支援がわずかなため、対象が低所得者に限定されるのではないかと危惧されています。
この肺がんの男性のように、一定の収入があっても、医療費の負担が大きければ、生活が立ち行かない被災者がいます。
現在、より多くの被災者が救済される免除を求めて、仮設住宅自治会長有志をはじめ、後期高齢者医療広域連合や県市長会、町村会でも、県に対して財政支援を求める声が上がっています。
県保険医協会理事長の北村龍男さん(医師)は訴えます。「受診抑制を無くすためには、医療費の免除は必要です。多くの被災者は、生活再建のことでいっぱいで、健康が一番という状況ではありません。被災者の経済力にかかわらず、重症化して困難な状況に置かれる前に援助することが、長い目で見て復旧・復興になると思います」