2014年1月25日(土)
弱者の側に身を置く人
夫・けんじを語る 宇都宮美佐子さん(62)
広範な都民・国民の期待を担って東京都知事選(2月9日投票)に立候補した宇都宮けんじさん(67)=無所属新、日本共産党、社民党など推薦=の妻の美佐子さん(62)が「夫・けんじ」を語りました。(聞き手 青野圭)
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私は11年間、保育士をしていました。高い保育料、園庭もない狭い園、たくさんの待機児童など、今、山積する東京都の保育問題を一刻も早く解決してほしいと願っています。ぜひ、夫に頑張ってほしい。
家族・家庭
結婚したのは私が28歳、夫33歳でした。保育士の同僚の解雇問題がきっかけで知り合い、半年後、何だか自然に結婚しちゃいました。“私よりも体が細い。ニコニコして、やさしそう”が第一印象でした。
子どもを保育園に送っていくのは夫の担当でした。雨の日は背負って通いました。子どもの夏・冬休みは夫の実家(大分県)で、2週間過ごして毎日、セミ取りや海水浴をしていました。
ただ、普段は仕事が忙しくて、一家だんらんの時間は日曜日の午後しかとれませんでした。
子どもが中学生のころ、「もっと遊んでおけばよかった」と言ったことがありました。「いまさら、もう遅い」と言ってやりました。(笑い)
夫の両親は戦後、大分県の国東(くにさき)半島に開拓農家として入植。夜明け前から夜まで働いたそうです。「そんな父親を誇りに思っている」と語っていました。
夫が泣くところを見たことがありません。一度だけ、子どもの夏休みに帰省し、東京に帰る日、見送る両親の姿が遠ざかるなか、年老いた姿に涙をこらえているのを見ました。
サラ金問題
サラ金問題を扱い始めたころ、相談者の連絡先を自宅にしていたので、サラ金業者から夜、嫌がらせの電話がかかってきました。暴力団相手の裁判を扱い、自宅に警察の警護が付いた時は、さすがに怖かったです。
なぜ、引き受け手のなかったサラ金問題に力を尽くしたのか。夫は「相談に来られた方が、最初はひどい顔だったのが、解決に向かうなかで、ふっくらとして元気になっていく顔を見ると、うれしい。それが励みになる」と話していました。
オウム事件
弁護士の坂本堤さん一家3人がオウム真理教に拉致(1989年11月)され殺害された時の夫の姿を忘れることができません。
堤さんの妻・都子(さとこ)さんは、88年1月までの約4年間、夫の法律事務所で働いていました。事件が発覚した日の夜、帰ってきた夫は「オウムに間違いないだろう。戸締まりに気をつけて、必ずカギをするように」としか言いませんでしたが、ショックの大きさは分かりました。形相が変わっていましたから。
夫は毎日、「これから帰るよ」と電話をくれます。遅く帰ってくると、家族が目をさまさないよう、そうっと入ってきて寝ています。先日、築地市場を視察した時は、その日の午前3時半に帰宅。午前5時に起きて、私が車で送りました。苦労を口にしない人です。少しでも支えになれればと思っています。
働き者だった父親を尊敬していた夫は、まじめに働く人、社会的弱者の側に常に身を置くことで、父親の生き方に自分を重ねているのだと思います。夫ですから、言いにくいですが、都政はこんな人に託したい。