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2014年1月9日(木)

日本・ベトナム理論交流での不破団長の報告

日本共産党綱領制定にあたっての社会主義理論の研究 (中)

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二、社会主義理論研究の主要な到達点

 本題の社会主義理論の研究の問題ですけども、私は大きくいって、社会主義への過渡期の問題と、それから、目標である社会主義社会をどうとらえるかという、二つの大きな問題について報告したいと思います。

 社会主義社会という目標についていえば、これは一口でいえば、人間による人間の搾取のない社会、それから、社会のすべての構成員が自由で平等な社会、これが大きな特徴だと思います。

 マルクスは、社会主義の政権ができても一挙にこういう社会主義社会への移行ができるとは考えませんでした。発達した資本主義国で社会主義的な変革が起きた場合にも、めざす社会主義社会をつくりあげるにはかなり長い過程が要ると彼は考えて、その過程を「過渡期」と呼び、それを、“資本主義社会から社会主義社会への、あるいは共産主義社会への革命的転化の時期”と定義しています。

(一)「過渡期」をめぐる諸問題

 まず、「過渡期」について報告しますが、そこには、注意する必要がある五つの問題がある、と考えています。

1、「生産者が主役」という原則

生産現場での新しい人間関係の確立

写真

(写真)日本ベトナム両党理論会談で発言する不破哲三日本代表団団長(奥左から3人目)。手前右から4人目はディン・テー・フインベトナム代表団団長=2013年12月16日、党本部

 過渡期についてマルクスがなぜそれが長期の過程になると見たのか。

 マルクスは、それを一世紀を超える期間になるだろうと推定していました。 

 社会主義への変革のためには、経済面では、生産手段を資本家の手から社会の手に移すこと、あるいは国家の手に移すことが必要になります。これは、革命政権が生まれ、そしてしっかりした政治体制がつくられたら、あまり時間がかからないでできるはずのことです。

 ではなぜマルクスは、その過渡期として、発達した資本主義国でも長期の時間が必要になると考えたのか。マルクスは、社会主義的変革は、生産手段を社会の手に移しただけでは完了しないとし、生産現場で社会主義にふさわしい人間関係を確立する問題をなによりも重視したのです。

 資本主義のもとでは、多数の労働者が資本家あるいはその代理人の指揮・命令のもとで作業しています。政権が変わって、今度は、資本家に代わって国家の官僚が命令し監督する体制ができた、これが社会主義だといえるかというと、マルクスはそうではないというのです。彼は、その状態を「奴隷制の枷(かせ)」が残ったままだと、強い言葉で批判しました。資本主義の社会で資本家がやっているのと同じことを社会あるいは国家の代表がやったのでは、生産現場が本当に社会主義の現場にならない、ということです。

 社会主義というのは自由で平等な人間が共同するところに特質がある、時間がかかっても、生産現場に社会主義にふさわしい新しい人間関係、自由で平等な生産者の共同という新しい関係をつくる努力がどうしても必要になる。ここに、マルクスが過渡期の研究でもっとも重視した問題がありました[★]。

 ★マルクスの過渡期の研究 この問題についてのマルクスの研究は、『フランスにおける内乱』(1871年)の第一草稿にあります(全集(17)五一七〜五一八ページ)。マルクスの考察の全文およびその解説は、不破『古典教室』第2巻の二一三〜二二二ページを参照してください(ベトナム代表団には、ベトナム語版でマルクスの文章の関係部分を指摘しました)。

ソ連には「反面教師」ともいうべき実例があった

 私は、この問題の重要性を示す「反面教師」ともいうべき実例が、ソ連にあったと思います。

 ソ連では、確かに生産手段の「社会化」という形はありました。工業では「国有化」、農業では「集団化」が実現しました。しかし、実際には、生産者は経済の管理から締め出されており、抑圧される存在でした。しかもその経済を数百万という囚人労働で支えるという異常な体制がつくられました。この経験は、生産現場の人間関係を見ない、ただの「国有化」や「集団化」が、間違った体制のもとでは、社会主義どころか、人間抑圧の一形態になってしまうという最悪の実例を提供していると、われわれは見ています。

 生産現場での人間関係の確立を、マルクスは「過渡期」の大きな問題として提起したのですが、ここには、これまで意識的な探究が行われてこなかった問題があると考えています。そして、私たちは、そのことを党綱領に、「生産手段の社会化がどのような方法、形態でおこなわれる場合でも、生産者が主役という社会主義の原則を失ってはならない」と、規定しました。

 私たちは、いま現に社会主義をめざす道を進んでいる諸国の党に、社会主義社会にふさわしい生産関係の人間関係をどうつくりあげるか、その問題がどう探究されているか、その経験を期待するものです。

2、過渡期における市場経済――資本主義部門との共存とその克服

 次の問題は、過渡期における市場経済の問題です。

 私たちは、ベトナムと条件が違いますが、日本が将来直面する過渡期についても、市場経済を通じての社会主義への移行が法則的な道になると考え、綱領にもそのことを規定しました。

 日本の場合にはベトナムとは事情がだいぶ違います。おそらくわれわれの場合には、現在、資本主義的市場経済が支配していますから、そのなかに社会主義的な政権が社会主義部門を作り出してゆくという過程になると思います。

 ですから日本でも、社会主義的政権のもとで、社会主義部門が資本主義部門と共存する時期が必ず生まれてきます。

 この問題はマルクスが予想しなかった問題でした。それで、レーニンが革命後のロシアの経済的現実と必要から、その道に新たに踏み出した問題でした。私たちは、ベトナムや中国が八〇年代にこの道を踏み出したことを、賢明な選択だったと評価しています。

 日本と違うのは、ベトナムと中国の場合には、社会主義への発展を国の大方針として決定した後で、市場経済を導入し、それによって、資本主義企業の参加を認めるというプロセスをとったのに対し、日本では、資本主義市場経済の中に、政権が社会主義部門をつくりだし発展させてゆく、こういうプロセスをとる、という違いにあります。

 どちらの場合にも共通点は、過渡期では社会主義部門と資本主義部門との共存になるという点にあります。そして、この共存の時期は、国によって長さは違うでしょうが、社会主義の勝利で終結させてこそ、過渡期を終了させ、社会主義社会への転化という新しい社会に進むことができることは、明らかだと思います。資本主義部門を共存させたままで過渡期が終了することはありえません。資本主義部門というのは、あくまで、搾取、利潤第一主義を原理とする経済部門ですから、これを乗り越えてこそ、その社会は新しい段階に前進できると思います。

 私は、二〇〇二年に訪中した際に、中国の社会科学院で講演を要請されて、「レーニンと市場経済」という題目で話をしたことがあります。レーニンが新経済政策と称して市場経済の導入を決意した時に、どんな問題を重視したか、その論点を整理したものでした。いくつかの点があります。

 一つは、資本主義経済の導入が、ロシアが経済的な力をもつために必要だった、ということから生まれてきたことです。つまり、社会主義部門が市場での競争や資本主義部門との共同関係を通じて、資本主義部門に負けない力を自分が持つようになること、その立場から、内外の資本主義から学べるものはすべて学びつくすこと、これが必要だという点です。これは来るべき発展段階で、資本主義部門をもはや必要としないだけの力をその国が準備するという意味をもちます。

 二番目は、過渡期が社会主義へ向かう方向性を確保するためには、経済全体の要をなす「瞰制高地(かんせいこうち)」――これはややこしい言葉ですが、これを社会主義の部門としてしっかり握って、それが経済発展を方向づける力を発揮できるようにする、この問題です。「瞰制高地」というのは軍事用語からレーニンが転用した言葉で、戦場を全部見渡せるような高地を確保する、という意味です。ベトナムでは、対フランス戦争の時、ディエンビエンフーで、相手の陣地を見渡せる周囲の高地を全部押さえて、勝利したと聞きますが、そういう意味です。

 何が瞰制高地の役割を果たすか、ということは時代と経済的条件によって違います。レーニンの場合には、「すべての土地と工業の最も重要な部分」、あるいは「工業と運輸の部門の生産手段の圧倒的部分」、これを社会主義国家が握り続けることを、強調しました。私は中国との理論交流では、それにくわえて、「経済のマクロ・コントロールの陣立て」、つまり計画経済の陣立てを十分な財政的、経済的裏づけをもって握っていることの重要性に注目しました。

 三番目の問題は、市場経済が生みだす否定的な諸現象から社会と経済を防衛することです。

 市場経済は無政府性や弱肉強食的な競争が特徴です。そこから雇用不安や失業、社会的な経済格差など、いろんな問題が生まれます。その抑制のためには、社会保障の諸制度をふくめ社会的な規制が必要になります。

 それから、「カネが全て」という拝金主義や各種の腐敗現象です。それが公的機関を汚染すると、それらの機関の官僚主義とか専制主義とかのゆがみをひどくします。これに対しては、公的機関そのものの自己規律とともに、下からの人民的な監督と点検という体制が重要になります。

 レーニンは、こういうものとたたかう上での、労働者のストライキを認めることが大事だと強調しました。彼は新経済政策で市場経済導入を決めた時に、労働組合のストライキの権利をどうとらえるかという問題を取り上げて、国家の官僚主義的な歪曲(わいきょく)や誤り・弱点とたたかい、国の統制を逃れようとする資本家の階級的欲望とたたかうためには、ストライキ権を手放すことはできない――こういうテーゼを作りました。

3、過渡期における世界経済秩序の問題

「グローバル化」の言葉には二つの意味がある

 過渡期の問題では、世界経済との関係も重要になります。

 いま、世界経済という時には、「グローバル化」という言葉がしきりに言われます。「グローバル化」ということには二つの意味があって、一つは、世界のあらゆる国ぐにの経済関係が非常に緊密になる、それが避けられないという問題です。もう一つは、「グローバル化」の名のもとに、社会体制の違う、また経済の発展段階の違う世界のさまざまな国ぐにを、すべて資本主義的市場経済のルールの中に吸収してしまおうという傾向の問題です。この二つの問題は、きちんと区別してとらえる必要があります。

 私はいま、第二の傾向が、世界で非常に危険な意味を持ってきていると考えています。たとえば、どんな国でも、比較的おくれた経済段階から出発して、自立した成熟した経済を持とうと思ったら、どうしてもやりとげなければならない問題、課題があります。それは、工業の発展で人民の日常の需要を賄う消費手段だけでなしに、それを生産する生産手段の生産も主要な部分は、自前で生産する体制を作らないと、経済的な主権の基礎をつくりだせない、ということです。発展段階の遅れた国がこの課題に取り組み、自分の、自前の重工業部門を作り上げようという時に、この分野で高度に発達した国の生産体制と、資本主義的な市場経済のルールに従って競争しようと思っても、それは絶対に成り立つことではありません。日本にしてもドイツにしても、世界の資本主義国で遅れて登場した資本主義国では、その出発点においては、例えば重工業部門をつくりあげる時には猛烈な国家投資を強行しました。

 ですから、今後の世界の経済秩序を考える場合には、そういう問題を深く考慮する必要があります。

レーニン時代のジェノバ会議の経験

 ロシアも社会主義の道に踏み出した時に、この問題に直面しました。

 ロシアでソビエト政権がうまれたとき、資本主義の世界は最初はソビエト体制を受け入れないで、干渉戦争でこれをつぶそうとしました。ロシアがこの戦争に勝利して、社会主義を目指す国としての存立を世界に認めさせた時、資本主義世界の側では、この国をどういう形で受け入れるかという問題を問われることになりました。「資本主義の世界にそのまま入ってこい」というわけにはゆかない。それぐらいのことは九十年前の資本主義国の指導者たちでも考えたのです。それで、一九二二年にジェノバ会議という国際経済会議にソ連を招待するときに、“われわれはこういう原則であなた方を招待する”という会議招請の原則を決めました。それは、“どの国の国民もその国の経済の制度と政治の制度については自分で選択する権利がある。自分の制度を他の国民に要求する権利は誰ももたない”、こういう原則です。ロシアは、まだ経済力の弱い国でしたが、その立場で、ヨーロッパやアメリカの資本主義国と共同の会合、初めての国際会議に参加したのです。

新しい国際経済秩序の探究が世界的な課題

 いまでは、当時にくらべれば、社会主義をめざす国の世界的な比重ははるかに大きくなっています。資本主義的な世界のなかでも、発展途上国の多くの国が政治的独立を確保し、そういう国ぐにの比重が非常に大きくなっています。現在の世界では、おくれた段階を克服して先進的な工業力、経済力をもつ民族的な任務、課題に直面している国が圧倒的に多いのです。

 そういう点で、体制の違う国、それから発展段階の違う国が、それぞれ独立平等の立場で参加できるような新しい経済秩序を探究することが、私たちは今、世界の課題になっていると思います。

 ところが、百年前には資本主義世界の指導者も分かっていたことが、今の相対的には立場の弱くなった資本主義世界の指導者たちは分からないのです。「グローバル化が世界の流れだ」と称して、資本主義的市場経済のルールを、特にアメリカの市場経済のルールを世界に押し付けようとしています。この波に巻き込まれれば、私たちの日本でさえ、たいへんな被害を受けることになります。われわれは他の国の外交政策に介入するつもりはありませんが、しかしこの問題は世界の多くの国ぐににとって自国の経済の自立を獲得するためにはどうするかという点で、非常に深刻な問題になりつつあると思っています。

4、革命の世代的継承の問題

新しい世代はどのようにして社会主義的自覚をもつか

 過渡期の問題で、いろいろな国々の経験を見ながら考えていることは、革命の世代的継承が非常に重要になるということです。

 最初に革命を起こすときには、人民の全体が資本主義の害悪、帝国主義の害悪というものを経験し、それを乗り越える新しい社会をめざす意識を人民の多数が当然に持ちます。それが、民主主義革命の場合にも社会主義革命の場合にも、革命の原動力とも基礎ともなります。

 しかし、社会主義の建設に到達する過渡期は長期性を持ちますから、当然、その時代、時代は、革命を経験しない新しい世代が担うことになります。その世代の人間が、どのようにして社会主義をめざす自覚を持つかということは、革命論のなかでもまだしっかり解決されていない、新しい問題だと思います。

 たとえば過渡期には、社会主義の部門と資本主義の部門との共存がどこの国でも特徴になるということについて、さきほど言及しました。国民はその両方を見るし、経験するわけです。国の条件によりますが、ある場合には、社会主義をめざす部門のほうが技術的にも遅れていたり、資本主義の部門のほうが技術的に優れていたりといった場合がしばしば起こるはずです。だからこそ、すすんだ資本主義の部門の技術とか経験とか知恵とか、そういうものを学びつくして、それを社会主義の部門が成長する力にする必要があるわけですが、そのことを、新しい世代が本当に自分の意欲とし自分の力とする、その活動がたいへん大事だと思います。

 これは私たちにとってはかなり遠い先の問題ですが、私たちは、綱領に関連して、その問題についての解答を研究しています。

 やはり、その場合には、到達すべき社会主義の社会、搾取のない自由で平等な社会というものがいかにそれぞれの国の将来にとってすばらしい展望であるかということの確信が必要です。そして、いま共存している資本主義の部門についても、それがどんなに経済的に優れた特徴をもっていても、それはあくまで、そこから学びとるべき対象であって、将来的には乗り越えるべき存在だという認識を国民が持つことも大事です。

 中国などでも、指導部については革命の「第一世代」「第二世代」「第三世代」という世代論が問題になります。しかし、それを支える国民、人民の側が、世代が代わって、革命を経験したことのない世代が担い手になっているということについて、あまり大きく注目した観点というものを私たちはまだ見ていません。

 これは余談ですが、この問題について、中国との理論交流で提起したときに、参加した中国側の同志が、「そういえば自分の子どもはどうだろうか」という話を経験的にしていました。

 くり返しますが、私たちにとってはかなり将来の問題ですが、ここにあらかじめ研究すべき大事な問題があるということをわれわれは感じているわけです。

この問題でのベトナムの経験から

 (ここで、ベトナムのディン・テー・フイン団長が発言を求め、次のような問答がありました)

 フイン団長 われわれもそう思います。これは非常に重要な問題です。これは理論だけでなく、党の思想の問題にも直接関連があります。国民、とくに若い世代に、社会主義にかんすること、資本主義を乗り越える意識を教える、教育することが非常に大事だと思います。この問題にいま非常に配慮していますが、いまはまだちゃんとできていません。日々体験していることを実証的に比較する、その意識を持つことが重要だと思います。

 とくに、ベトナムは対外開放後、いまは国際統合を進めていますが、国民は外国の資本主義国とわが国を常に比較します。外面だけをみれば、資本主義諸国が技術も管理も、さまざまな面でわれわれより高いレベルにある。そのため、深く分析し、国民が問題の本質を理解するように努力しなければならないと思います。

 たとえば、ベトナムではいま六歳以下の子どもは無料で医療を受けている。それからすべての貧困層は、健康保険を無料で受け取っています。まだ保険、医療には制約がありますが、ベトナムでの社会主義の優越性を示すことだと思います。やはり、比較する際も、深く分析することが、問題を理解するのに必要だと思います。

 日常生活のなかでは、外面的にみれば資本主義のほうがわれわれより発展しているということがあるかもしれませんが、問題の本質を知るためにはやはり深く分析する必要があります。

 具体的に資本主義部門という用語について少し説明していただきたい。(経済における)資本主義的要素ですか。

 不破 私たちは、たとえば外国企業がベトナムの中で経済活動している時は、これは資本主義部門だと思っています。

 フイン団長 それは一部ですか?

 不破 私どもは、一九九九年に訪問したときに、富士通の工場を南で見ました。これは日本の資本が経営している非常に大きな工場で、これは資本主義部門です。それから、ベトナムの国内でも、ベトナムでは「私的部門」と呼んでいるようですが、私的な資本家が経営している工場は経済学的、社会的には資本主義部門に属します。

 フイン団長 ベトナムには、多セクター経済といいますが、さまざまなセクターがあります。資本主義セクター、個人セクターなどがありますが、たぶんそのセクターは、資本主義セクターは資本主義部門の一つの要素だと思います。

 不破 これも余談ですが、数年前に中国の党学校の同志が来て、私に質問したことがあります。「いま中国では、中国のなかに搾取があるかどうかについて議論がある。ある人はすべて社会主義志向の経済の一部門を構成して、社会主義の法律に従っているのだから、搾取はないという人がいる。しかし、私はどうも搾取があるのではないかと考えている」と。それで、私は、たとえば中国のある企業がアメリカに投資して、IBMという大企業の一部門を買収した。中国からは責任者が一人行って経営をしているけれども、これはアメリカ労働者を搾取しているのだ。全体が社会主義の法律を守っているという意味で社会主義市場経済の一部門であっても、そこには立派に外国や中国の資本主義があるのだ、という話をしたのです。いまはいかに共存関係にあっても、そこの区別をきちんと認識していることが、私は将来の発展をみる場合に大事だと思っています。

 フイン団長 われわれも、そういうことを認識しております。われわれとしては、搾取を認めるという自覚ももっています。高い技術を勉強するためには、外国企業を認めることがあります。われわれの問題というのは、法律を使用して、剰余価値を調節することです。過渡期における社会主義部門の企業においても、搾取もあると思います。しかし、その剰余価値が一人の個人の手に入らずに国家に入って、国のインフラ整備などの財源になるということです。 

 外資企業にたいしては、われわれとして、そのハイテクの導入、管理の仕方、工業施設などのために認めますが、われわれは、税の政策を通じて、企業の剰余価値をふたたび分配します。つまり、国のインフラ整備、社会保障などのためにその税を使っています。

 不破 それは正確な態度です。その点で、われわれの見地が接近していることを確認しました。先へすすんでよいですか。

5、過渡期の政治形態

 過渡期の問題で、最後に述べたいのは政治形態の問題です。

 マルクスは、過渡期の政治形態はプロレタリアートの「ディクタトゥール」、執権と特徴づけました。これは、特別の政治形態を規定したものではなくて、過渡期の国家の階級的内容であり、資本主義社会から社会主義社会への転化の過程を推進し、完了させるという、その政権がになう任務を規定したものです。

 政治形態の問題では、マルクスは、民主共和制を、資本主義社会のなかで人民がかちとった価値ある体制であって、これを社会主義社会に引き継ぐべきものだと評価し、ここに社会主義権力の「特有な形態」があるとまで意義づけました。

 わが党は、この見地から、社会主義政権の確立ののちにおいても、反対政党の存在、選挙による政権交代、そして社会主義をめざす道の一歩一歩において選挙で国民多数の意思を確認しつつ前進する、こういうことを綱領に明記しています。こういう路線での前進を実現するためには、党としても、国民のあいだで権力を獲得する時期以上の活動をし、多数者を獲得する努力を不断に強化するという任務をになうことになります。

 われわれのように、議会で多数を獲得して権力をめざすという方法をとっている国と違って、議会的な活動の条件がなく、革命戦争の方法で新しい国家の建設に着手した国には、特別な条件が当然あると思います。

 しかし、歴史のなかには、そういう場合でも民主共和制の積極面を取り入れようとした探求がいろいろあります。

 たとえば、十月革命のあと、干渉戦争の時期のレーニンの態度がそうでした。干渉戦争中のレーニンの文献を読んでいると、ソビエトの全国大会の討論の結語で、レーニンが反革命の政党にたいする反論を盛んにやるのです。どこかよそでやっている発言について反論しているのかと思うと、そうではありませんでした。内戦中でも、地方のソビエトで、メンシェビキとかエス・エルとかの反革命派が代議員に選ばれてきてソビエトの全国大会に出席していました。そして彼らが大会でソビエト政権批判の議論を大いに展開する。それを結語で、レーニンが見事に論破して打ち破るわけです。この論戦が、現実に全国的におこなわれている政治活動、内戦中に全国の諸勢力をソビエトの側に結集する活動に大いに役立ったのです。

 そのうちに、地方でもそういう人たちが代議員に選ばれることがなくなります。そうするとレーニンは、特別代議員として招待して彼らにまた大会で発言させるのです。こういう言論戦を公然と展開することで、国民の政治的教育と結集に役立てたのだと思います。

 私たちは、前にもお話したように、三十二年間の断絶を経て一九九八年に中国共産党との関係正常化をしましたが、その最初の首脳会談で、胡錦濤同志との会談でしたが、将来の展望の問題として、次のようなことを提起しました。

 「将来の問題としていうのだが、どのような体制であれ、社会にほんとうに根をおろしたといえるためには、言論による体制批判にたいしては、これを禁止することなく、言論で対応するという政治制度への発展を展望することが、私たちは重要だと考えています。レーニン時代のロシアでも、いろいろな権利制限の措置がとられましたが、レーニンは、それは革命の一局面の過渡的な制限であって、将来は制限をなくすということを、理論的にも政治的にも明確にしていました。将来的なそういう方向づけに、私たちは注目したいと思っています」

 その後、理論交流の機会には、この点についてもかなり詳しく問題提起をしましたが、そういうことを考えています。

 以上が、過渡期の問題で私たちが提起している問題です。

 次に、大きな問題として社会主義社会・共産主義社会の目標について述べたいと思います。

 (つづく)


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