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2014年1月7日(火)

秘密保護法認めない

川崎重工が整備のP3C 削られた「核」表記

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 自民、公明の強行採決で成立した秘密保護法に関連し、すでに厳しく秘密が管理されている軍需産業の現場で、自衛隊機や米軍機の核攻撃能力に関わる情報を隠すなど平和をおびやかす問題が秘密とされてきたことが、関係者の証言で明らかになりました。生産現場では秘密を守るため、公安調査庁の協力で労働者を調べあげていたといいます。(本田祐典)


写真

(写真)離陸するP3C=神奈川県綾瀬市の海上自衛隊厚木基地

元社員証言 公安庁、社員調査に協力

 自衛隊の輸送機や哨戒機の生産・整備を担う川崎重工岐阜工場(岐阜県各務原市)。日米が軍事の協力と分担を深めるなか、兵器生産の現場ではさまざまな秘密が集積しています。

81年輸入

 川崎重工の元技術者は語ります。「秘密だといって、核攻撃能力にも関わる情報が隠されてきた」

 海上自衛隊の哨戒機P3Cのうち、1981年に米国で引き渡された最初の3機は、核兵器の搭載が可能な機体が基になっていたといいます。

 P3Cは冷戦下の米国の核戦略のもとで、ソ連(当時)の原子力潜水艦を追跡し、いざとなれば核兵器で攻撃する役割を担いました。米軍は核攻撃能力の有無を明言しないまま75年にP3Cを三沢基地(青森県三沢市)に配備しましたが、国会ではたびたび核持ち込み疑惑が取り上げられました。

 海自に配備された米国製の3機は、輸入にあたって機体内の「A―BOMB」(核爆弾)の表記が削られました。

 3機の整備は、P3Cをその後、国内で量産した川崎重工が担当。うち1機を整備する過程で機体のブレーカー部分に消えた文字があるのを修復しようとした労働者が、「核爆弾」の表記に気付きました。

 米国製P3Cの図面は川崎重工にも保管されていましたが、秘密にされていました。実際に核兵器を搭載可能だったかは不明です。

適格審査

 防衛省は秘密を守るため、川崎重工に秘密保全規則を設けさせています。これにもとづいて、社内では「適格審査」と呼ばれる社員の身辺調査が行われています。

 秘密指定の機器、文書の取り扱いや、秘密を扱う場所への立ち入りには「適格証」という顔写真入りの証明書を必要とします。

 適格証の申請書では、労働者に所属団体や家族構成、交友関係、病歴などを書かせます。この申請書を実際に見たことがあるという労働者は「教員を敵視して、家族に教員がいないか聞く項目まであった」とします。

 さらに、申請書の記入内容には、念入りな「裏づけ調査」が行われます。防衛庁や川崎重工にとって望ましくない団体に所属する家族がいる社員には適格証を発行せず、秘密を扱う仕事から外します。

 P3Cの生産が始まった当時、工場長格だった西川澄夫航空機事業部長も新聞社の取材に「私の場合、(発行まで)9カ月。ひょっとして身内に…なんて考えた」(1983年2月発行、朝日新聞名古屋社会部「兵器生産の現場」)と答えています。

 こうした身辺調査は社内に設置された保安課が担うほか、「テロリストの調査」を名目に市民運動などへの諜報活動をしてきた公安調査庁が協力します。

 川崎重工の元社員は「幹部の話だと、大学卒の社員なら学部と名前を公安調査事務所に持って行けば、『その人は大丈夫』などと教えてくれるという。会社の保安課も社員の出身地まで出向いて地元警察などに話を聞いていた」と話しています。


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