2014年1月1日(水)
『記録―少女たちの勤労動員』を出版
今の中高生に伝えたい
秘密保護法の強行に続き、靖国神社の公式参拝…。日本を「アメリカと肩を並べて戦争する国」に導こうとする安倍内閣のもと、今年も戦争と平和の問題をとりあげていきます。
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太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)。学校の授業は中止になり、14、15歳の少女たちも軍需工場などで働きました。どんな場所で何をさせられたのか―。体験者たちが『〔改訂版〕記録―少女たちの勤労動員 女子学徒・挺身隊勤労動員の実態』を出版しました。96年に出したものに新資料を加えた改訂版です。
編集したのは91年12月8日に結成した「戦時下勤労動員少女の会」です。代表の坂口郁(いく)さん(83)=東京都在住=は言います。
「私たちは国の方針で動員されましたが、公的な記録はほとんどありません。そんな空白をうめるかのように戦後50年の1990年前後、各地の女学校の同窓会では、さかんに手記や記録集作りが取り組まれるようになりました」
会の事務局を務める中村道子さん(83)=同=もそのひとりです。文京区の桜蔭高等女学校から中島飛行機工場へ動員され、旋盤作業に従事しました。89年、同窓生で『戦中女学生の記録』を出しました。
「子育てが終わり、やっと自分のことを振り返る時期でした。校史を調べてみると『動員中』と一言だけ。がくぜんとしましたね。これは何とかしなきゃ、と」
■悲願の改訂
100余冊の記録集のほか、約500通のアンケート、40通の手紙をもとに勤労動員の実情を作業内容、作業中の傷病・死亡・補償、衣食住や学業、人間性、動員中の愛唱歌などの項目でまとめました。実態調査は47都道府県を網羅し、400ページ以上になりました。
96年の出版は、大きな反響を呼び、同年、平和協同ジャーナリスト基金奨励賞を受賞。その後も「会」にアンケートや記録集が続々と寄せられ、満州(現中国東北部)まで動員された事実も分かりました。改訂版の発行は悲願でした。
■70年の節目
今年は勤労動員70周年です。
中村さんは今、電車で楽しそうな制服姿の女子生徒を見ると、つい涙ぐんでしまうと言います。
「一番、いろんなことを吸収できる年齢のときに学業を奪われたというのは大きなことです。その時は“お国のために役立てる”とうれしかったけれど、今でも何か欠落しているように感じることがあります」
2人の思いは一つ。「あの時代を繰り返してはならない」です。ぜひ今の中学生、高校生にこの事実を知ってほしいと願っています。「中学、高校の図書室に置きたいですね。やさしい言葉で書くように心がけたんですよ」と坂口さん。「戦争になったら、女も子どもも爆撃を受け、弾丸にさらされました。そのことを特に今の時代に伝えたいのです」(君塚陽子)
(問い合わせ 東京都世田谷区深沢5の25の1中村さん)
学徒勤労動員 1944年(昭和19年)3月、政府は大学・専門学校・高等学校(旧制)、中等学校・国民学校(小学校)高等科などの授業を中断し、学生・生徒の通年の勤労動員を決定。45年8月、終戦の詔勅を「職場」で聞いた学徒は340万人を超え、学徒動員による死亡者は1万966人、傷病者は9789人にのぼりました。(文部科学省『学制百年史』)