2014年1月1日(水)
新春対談
バイオリニスト・荒井英治さん 音楽の一番深い意味
日本共産党委員長・志位和夫さん 時代超え人々励ます
ショスタコーヴィチと秘密保護法と
バイオリニストで東京フィルハーモニー交響楽団のソロ・コンサートマスターとして活躍する荒井英治さんと、志位和夫委員長が、音楽から政治、社会の問題まで縦横に語り合いました。
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志位 あけましておめでとうございます。
荒井 おめでとうございます。
志位 荒井さんは何と言ってもショスタコーヴィチ(旧ソ連の作曲家)の弦楽四重奏曲に情熱を傾けて取り組んでおられるということで、僕もショスタコーヴィチは大好きな作曲家なのでとても身近に感じて聞かせてもらっています。荒井さんの演奏するバイオリン協奏曲第2番、弦楽四重奏曲第13、14、15番を聴きに行きました。CDも聴いています。
荒井 ありがとうございます。志位さんは音楽に詳しい政治家だと存じ上げていたのですけど、僕がショスタコーヴィチのバイオリン協奏曲第2番を弾いたときに聴きにいらしてくださって、そのときお話ししたのが最初の出会いでした。ショスタコーヴィチが好きだというお話をうかがって、存在がとても身近に感じましたね。あのとき、演奏中にバイオリンの弦が切れたんですよ。(笑い)
志位 あっ、そうでしたね(笑い)。普段は東京フィルでコンサートマスターをしてらっしゃいますけど、コンサートマスターとはどういうお仕事なんですか。
荒井 コンサートマスターというのは、オーケストラの音楽面でのとりまとめ役といいますか、モーツァルトの頃までは今のような指揮者がいませんで、バイオリンのリーダーが弾きながら弓でメンバーに合図をしていたのです。その名残がコンサートマスターという称号で、今では指揮者をサポートするような役目ですね。志位さんが、ショスタコーヴィチにひかれたのはどういうことから。
志位 ショスタコーヴィチは、旧ソ連のスターリンの圧政下で、その暴圧に抗して、芸術家としての良心を守り抜いた作曲家ですが、僕は、彼の音楽は、時代は違っても、あらゆる世の中の暴圧とたたかっている人々へのエールにもなっていると思うんです。いま、日本を「戦争する国」にするきな臭い動きがあるじゃないですか。それとたたかっている人々への励ましのメッセージにもなっていると思います。
荒井 そうですよね。音楽というのは、心の安らぎだったり癒やしだったりするのかもしれないけれど、一番深いところの意味っていうのは、人々に勇気をあたえる、困難に立ち向かうものを呼び覚ますようなパワーをあたえるところにある。いま、どんどん世の中が右傾化していると思うのですけれども、僕なんかも流されてしまうかもしれないけれども、その中で良心に従って「これはおかしい」と声を上げていく、そういう力は抹殺できないですよね。
志位 できないですね。昨年、秘密保護法に反対してあらゆる分野で声が上がったじゃないですか。法律家のみなさんから、吉永小百合さん、山田洋次さんなど映画界の人まで、これはおかしいと。
荒井 秘密保護法は怖い。戦争中を思い出させるような、治安維持法とかありましたでしょう。国民が疑心暗鬼になって、人間同士の信頼が失われていくような、本当に恐ろしいものじゃないかと思います。しかも、そういう圧政はニコニコしながらやって来るんですよね。
暴圧者が恐れた音楽の力 志位さん
“人間の声”が魂に訴える 荒井さん
バイオリン協奏曲第1番の衝撃
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志位 僕の最初のショスタコーヴィチ体験というのは、中学生の頃にFMラジオで聴いた、レオニード・コーガン(旧ソ連のバイオリニスト)演奏のバイオリン協奏曲第1番でした。「夜想曲」から始まってとても不気味な感じがしましたね。こんな音楽がこの世にあるのかと驚いて、録音したテープを何度も聴きました。
荒井 そうですか。僕も初めてバイオリン協奏曲を聴いたのがコーガンの演奏でした。
志位 そうすると同じ盤の。
荒井 そうだと思います。僕はバイオリンを小学校4年生、10歳のときから始めたのですけども、僕もあの曲は怖い曲だなと思いました。第1楽章は、何か僕は、独房に入れられて小窓があって、そこから格子の向こうに見える月を眺めているような、そんな風景を思い描いたんですね。
志位 僕は、何というか、うっそうとした薄暗くて不気味な森があって、沼がいっぱいあるような、そこを歩いているような感じ。
荒井 何か、言い知れぬ闇を感じますよね。
志位 そうですね。あの曲をショスタコーヴィチが作曲したのが1947〜48年、初演が1955年で、スターリンが死ぬ(53年)までは初演できなかったわけです。
「悔い」を拒み交響曲第4番作曲
志位 ショスタコーヴィチはスターリン体制のもとで、2度にわたって命の危険にさらされています。最初は、1936年から37年の時期です。オペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」に対して1936年に「プラウダ」(ソ連共産党機関紙)が突然乱暴な非難をくわえた。
荒井 「音楽の代わりの荒唐無稽」という批判ですね。
志位 悪名高い批判です。スターリンは一種の直感で、これは危ないなと感じたのではないか。これは民衆の心を歌っていると、民衆の心に訴える強い力を持っている。こういう音楽は危ないぞ。そう恐れたからこそ、弾圧しようと考えたと思うのです。
荒井 そうそう。ショスタコーヴィチは民衆を扇動していると。スターリンはこのオペラを劇場で見ているんですよ。聴衆はすごい拍手喝采していたでしょうから。
志位 大喝采ですものね。音楽というのは人間の心に直接訴えかけるものではないですか。言葉というのは論理や事実で語りかけてくるものですが、音楽は直接魂に訴えかけてくる。音楽がそういうものであればあるほど、スターリンのような暴圧者は恐れたのだと思います。
荒井 音楽そのものは理解できなくても、音楽の持つ力については理解していた。
志位 そうですね。だからこそ迫害した。このときは、ショスタコーヴィチは本当に危なかったわけです。ガリーナとマクシムという彼の2人の子どもの回想録(『わが父ショスタコーヴィチ』)が出ているのですが、それによると、1937年にトハチェフスキーという赤軍の元帥が処刑される。そのとき、彼と親交があったということでショスタコーヴィチも危うく間一髪で粛清されるところだったという話も出てきます。
こういう危機の時期にあって、ショスタコーヴィチが書いたのが、交響曲第4番(作曲は1934〜36年)でしょ。
荒井 そうですね。
志位 彼は、「『プラウダ』の批判にたいして、私は悔いることを拒否した。悔いる代わりに私は交響曲第4番を書いた」といっています。
荒井 まさにそういう内容ですね。それこそ民衆の怒り、不安をあらわすいろいろな内容が入っている。
志位 交響曲第4番は大変な傑作だと思うんですが、これは、そのすぐあとにやってきたスターリンの大量弾圧を予言するような内容がありますね。
荒井 そうです。まさにそういった民衆を押しつぶすような圧力を感じさせるようなものがあります。
志位 だから、すぐに演奏できなくて、初演されたのは25年後の1961年でした。
荒井 あれはよほどつらかったのではないかと思います。あの曲は僕は3度くらいしか演奏してないですけれども、第3楽章になると、何ていうか、巨大な墓地に寒風が吹きすさぶ中で一人立っていて、自分たちの仲間や家族がみんな亡くなって眠っていて、自分は生き残っていて何か語りかけているような、そういったイメージを持って演奏しますね。そうさせられる。
志位 最後は、短調のピアニッシモで終わりますね。
荒井 そうです。あのへんを演奏しますと、バルシャイ(ソ連の指揮者・ビオラ奏者)も、「人間、一番悲しいときは、もう涙も出てこない、そういう悲しさなんだ」と言っていましたが、そういうものを感じますね。ショスタコーヴィチの15の交響曲のなかで短調で終わるのは、あの曲だけなんですね。
志位 あの終わり方は、ピアニッシモなのに心に突き刺さるような恐ろしい力がありますね。
スターリンの暴圧を風刺・告発
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志位 ショスタコーヴィチの2度目の危機は、1948年のジダーノフ(ソ連共産党政治局員)からの「形式主義的・西欧追随的」という批判です。このときも大変な苦境に立たされるわけですけれども、彼がとった行動というのは、スターリンの暴圧を厳しく風刺・告発する「反形式主義的ラヨーク」という曲をひそかに作曲することでした。
荒井 そうです。公開で初演されたのは死後ですよね。
志位 死後ですね。この時も、芸術家としての良心を、内面では守り通した。バイオリン協奏曲第1番という大傑作を残したのも、2度目の弾圧を前後した時期でしょ。
荒井 そうですね。
志位 そう考えると、私たちは、スターリン以後のソ連社会について、強制的な農業集団化や大量弾圧を経て社会主義とは無縁の覇権主義と専制主義の社会に変質したと厳しく批判していますけれども、そういう中で、それに屈せずに、人間の良心を守って、それで深い精神性をたたえた記念碑的傑作を残したというのはすごいことだと思いますね。
荒井 ショスタコーヴィチの音楽にはユダヤ人をテーマに扱ったものがありますね。スターリンはユダヤ人を迫害していますよね。それがわかっていて迫害された人々へのシンパシー(共感)を音楽にしています。
志位 バイオリン協奏曲第1番にも、ユダヤ的調子があらわれていますね。
人間としての良心 今でもお手本
志位 僕は、15の交響曲のなかで、一番好きなのは第4番で、最高傑作だと思っているのは第8番(1943年)ですが。
荒井 僕もそう思います。僕も4番と8番です。15番(1971年)も大好きなんですけれど。
志位 その点も含めて一致しました(笑い)。4番と8番というのは、スターリン体制の抑圧のなかで、ものすごい葛藤をかかえながら、どんなことがあっても芸術家の魂を守り抜くぞという固い信条のようなものが貫かれていて、ものすごく好きですね。
荒井 ショスタコーヴィチの素晴らしいところは、弱いところでファゴット一本にずっと演奏させる。クラリネットであったりフルートであったりチェロとか。延々と演奏させる。
志位 独白するような。
荒井 そう。あれって一人の人間としての声なんですよね。これは人間の心情といいますか、魂に訴えかけてきますね。交響曲8番では、第3楽章の行進曲がすごい。背筋が寒くなるような。恐ろしい音楽ですね。
志位 恐ろしいですね。恐怖社会のなかでの人間の痛切な叫びが込められている。第3楽章から第4楽章に移るときの和音は、奈落の底に突き落とされるような感じを持ちますね。
荒井 無理やり連行されていくような。
志位 そう。連行されていくような。
荒井 これは本当に傑作だと思うんですけれど、彼の音楽のいたるところに、社会の姿があらわれている。当時これを、演奏を生で聴いたロシアの人たちというのは、みんな言葉がなくても、言いたいことが全部わかっちゃう。
志位 うん。わかっちゃう。
荒井 ここに全部、縮図としてあらわされていますよね。
志位 本当に。すごい曲をつくったものですね。
荒井 やっぱり、人間の尊厳というものがそうさせるのかな。
志位 どんな強大な権力でも、芸術家の良心をつぶすことはできないぞ、という強い意志がありますね。僕は、スターリンのもとでの旧ソ連社会というのは、たくさんの迫害や裏切り、むごたらしい犠牲者を生んだけれども、そこにはそれに抵抗して、人類の歴史に残る芸術的文化的遺産を残した人間の不屈の営みもあったということも、記録されるべきだと思います。
荒井 もちろんショスタコーヴィチほどの才能が無ければ到底できないことだと思うんだけど、それにプラス意志ですよね。いくらでも書ける才能を持っていたけれども、そういう人が本当に書きたいものに心血を注ぐとこういうものができるんですね。そういう人がいたということは、単に時代の証言であるにとどまらないで、今の世の中でも何か人間としての良心のお手本であるように思います。
志位 どんな権力をもっていようと、人間の良心を押しつぶすことはできない、真の芸術家の魂を思うように操ることはできない、人間の素晴らしさを示していると思いますね。
国民の素晴らしいエネルギー
志位 時代が違うけれども、たとえば今の日本ってずいぶんきな臭いじゃないですか。秘密保護法とか。ああいう暴政とたたかうときに、ショスタコーヴィチの音楽は、時代が違っても、励ましになりますよね。
荒井 そうですね。困難に立ち向かうパワーを呼び覚ます力がありますね。ピカソの「ゲルニカ」もそうですよね。あそこから出てくる強烈なメッセージ、エネルギーというのはやはりすごい、人々の胸を打ちます。僕はテレビは天気予報を見るためにつけるのだけれども、最近はニュース番組を見ていてもだいたい腹が立って消しちゃうんです。偏向報道と感じるときもあるし、何かアナウンサーが自分の言葉ではなくて、何かこういうふうに言わされているような、そういうことがすごくもどかしい。
志位 芸術家の直感ですね。(笑い)
荒井 秘密保護法についても、反対の声はほとんど紹介してきませんでしたよね。
志位 テレビ局によっていろいろでしたが。そんななかで、私が希望だと思ったのは、これまでにない広大な国民が声を上げたことです。たとえばノーベル賞を受賞された益川敏英さんや白川英樹さんを含め学者・研究者の方が「特定秘密保護法案に反対する学者の会」をつくって、賛同者を募ったら、3500人以上の方が集まって、5000人を目指しているというのですね。法案が通った後でも、名称から「案」だけはずして、「特定秘密保護法に反対する学者の会」になって、廃止運動をしているといいます。これは平和や民主主義を守ろうという日本国民の素晴らしいエネルギーを示していると思います。
荒井 音楽家は少なかったですね。音楽家は団結しにくい。(笑い)
志位 今からでも遅くありませんよ。(笑い)
弦楽四重奏団で被災地を巡る
志位 荒井さんは、モルゴーア・クァルテットという弦楽四重奏団の活動で、最近、プログレッシブ・ロックにもとりくんでおられるんですね。私も、CDで何曲か拝聴しました。ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲なんかも、たとえば5番などを聞くと、ロックのビートが聞こえてくるようなところがあります。つながっているものがありますね。
荒井 そう。そうです。モルゴーア・クァルテットはショスタコーヴィチの全弦楽四重奏曲を演奏することを目的につくったのですが、プログレッシブ・ロックにも挑んでCDも出しました。今、第2弾をつくっているんです。志位さんがご存じかどうか分からないですけど、ピンク・フロイド(イギリスのロック・バンド)で「原子心母(げんししんぼ)」という有名な曲があって。
志位 ええ、知っています。
荒井 もとの題は「アトム・ハート・マザー」といって、原子力の心臓ペースメーカーを埋め込んで生きながらえている妊婦のことを書いた新聞記事にちなんだものなのです。曲自体は反原発とかまったく関係ないのですけれども、その曲を今度アレンジするにあたって、原子力となるとやはり福島のことが。
志位 原発事故ですね。
荒井 震災後の6月には、モルゴーア・クァルテットは福島市の3カ所を回って演奏したんですが、なかなか、こちらの方も苦しい気持ちでしたね。クァルテットでビオラを弾いている小野富士(おの・ひさし)は福島市の出身なんですね。音楽を受け入れてくださる方もいますけど、やはりまだ音楽なんか聴けるような心境ではないという人もたくさんいらっしゃるということが分かって、胸が痛むような思いだったのです。そんなことがありまして、この原子心母をアレンジするときに、僕としてはちょっと細工しまして、「3・11」という数字を曲に取り入れたのです。ここでそのネタばれをしてしまうとつまらないのですが。
志位 ショスタコーヴィチも、自分のイニシャル(D・Es・C・H)を音にして曲のなかにたくさんちりばめていますが、ショスタコーヴィチの精神が生きてますね。(笑い)
荒井 そうですか。ちょっと、その気持ちがね。あと、キース・エマーソン(イギリスのキーボード奏者・作曲家)という人が去年、吉松隆さんという作曲家の還暦コンサートのために来日しまして、コンサート後のパーティーで会ったのですけれども、そのときに「自分は福島の被害でとても心が痛んでピアノ曲(『日出(い)ずる国へ』)を書いた。それをクァルテットにしたらどうか」と提案を受けたのです。だからそれも取り入れたのですよ。そうすると、全体として震災の犠牲者にささげるというイメージのアルバムになるような気がして、そのためにも頑張らなければと思っているところです。これはいいアルバムにしなければいけないな、と思っているところです。
志位 それは楽しみですね。福島原発事故の被害を受けて苦しんでいる方々に、思いが伝わるといいですね。でも、その細工は、よほどよく聴かなければ分からないかも。
人間を痛めつける社会変えねば
志位 4月から消費税が8%に上げられることが計画されています。私たちは中止を求めているのですが、上げられたらコンサートの運営も大変になるでしょう。
荒井 もうこれ以上チケット料金は上げられませんしね。本当に大変なんですよ。人件費はかかりますし、これを効率化するなんてできないですからね。マーラー(オーストリアの作曲家・指揮者)の交響曲といったら100人必要なのです。それを50人に減らしましょうなんていうことは成り立たないんですよ。ですから、経済状況が悪くなると、ますます生演奏を聞けなくなってしまいます。今、文化予算は国の予算の…。
志位 0・11%です。
荒井 ひどいですね。何とか国の助成金を引き上げてほしい。
志位 消費税増税の問題とともに、「過労死」を生むよう長時間・過密労働や、派遣労働などの「使い捨て」労働といった問題があります。人間の働き方をまともにしないと、コンサートどころか、文化的要求を満たす時間も金もない。
今、安倍政権が「成長戦略」といって、「企業が世界で一番活動しやすくなる国」をつくるといっていますが、解雇を自由にするとか、派遣労働を野放図に拡大するとか、「ただ働き」を合法化するとか、「働く人が世界で一番粗末にされる国」にしていく方向ですから、ますますコンサートなど遠くなります。消費税増税にしても労働法制の改悪にしても、働く人が粗末にされる社会では、文化が豊かに発展する土台そのものがどんどん細っていくことになる。そんな社会では立ち行きません。
荒井 人間、とくにこれからの日本を背負って立つ若者が特にそうだと思うのですけれども、健康で職につけて、力を発揮できてこその社会ではないですか。どんどん賃金を下げたり、解雇が自由になったり、今のあり方はすごく逆だと思うんです。もっと底辺の人たちに目を向けてほしいですよ。人間あっての社会ではないですか。そこを痛めつけているのは、砂上の楼閣のような、弱い日本になってしまうと思います。
志位 その通りですね。働く人が粗末にされ、「使い捨て」にされていては、経済も立ち行かなくなるし、社会も病んでいきます。
私たちは、ここをただそうと主張しています。長時間・過密労働、「使い捨て」労働、ブラック企業をなくしていく。人間らしい雇用を拡大し、賃上げを実現する。人間らしく生きることができる社会保障を築く。消費税増税をやめさせる。国民の暮らしと権利を守る「ルールある経済社会」を築きたい。今年、日本共産党は26回目の大会を開きます。「国民の苦難のあるところ日本共産党あり」の精神で、大いに頑張りたいと思います。
「軍事力」より「文化力」の政治を
荒井 私は週に半分以上は東京の音楽大学で教えているのですけれども、今の学生たちを見ていて思うのは、自分が考えるより先に「ああしなさい、こうしなさい」とあてがわれて育ってきて、自分で物を考えるということが弱いのではないかと。オーケストラというのは、一人ひとりが全体のために埋没するんじゃなくて、一人ひとりが自立して自分の感性・自分の気持ちを持って演奏して、それでお互いに聴きあってアンサンブル(合奏)する。これは、自分の意見を持ちつつ、どうしたら意見のすり合わせをするか、社会の縮図だと思っているんです。
志位 なるほど。
荒井 教える方としては、「ああしなさい、こうしなさい」と強制するのではなくて、自分が何を感じるのか、何をしたいのかというのを見つけさせて、まず自分の心にあるものを探しだす、自分の声を見つけ出す方向へ導きたい。これが今年の抱負かな。音楽とは、音楽家が自分の中に持っている叫びなんですね。愛する気持ちや怒りだったり、自分の中の叫びが音楽なんですね。社会を構成する人間としても、自分の意見を見つけて発言する。音楽を通じて自分の意見を伝えようとする。その気持ちなしに音楽はなりたたないんですね。
志位 そのためにも自由な社会でなければいけないですね。
荒井 そうです。この間、ある講座で「オーケストラの歴史」というテーマで話したのです。調べてみて面白かったのですが、ルネサンス時代というのは王侯貴族がいろいろいて、そうした君主が自分の力をアピールするのが、「軍事力」、「経済力」と同じように「文化力」だったのですね。王侯貴族が優秀な音楽家を集めてオペラを上演して、自分の領土ではこんな素晴らしい上演ができるんだという「文化力」が誇りだったのです。今は「軍事力」はいらないけれど、ルネサンス時代の人は現代人よりも賢かった、見識が高かったのではないかと、今の日本の現状を見て思うところがあります。
志位 なるほど。レオナルド・ダ・ビンチを召し抱えたミラノ公・ルドヴィーコ・スフォルツァも、「軍事力」「経済力」だけでなく、ダ・ビンチの「文化力」が必要だった。
そう考えると、安倍政権の現状はひどいものです。来年度予算案は軍事費をうんと増やすという。「国家安全保障戦略」を策定し、「海外で戦争をする国」づくりに急いでいる。「軍事力」にはことのほか熱心です。
「経済力」はどうか。もっぱら財界・大企業にさえもうけさせればよい。税金も、庶民からは消費税大増税で吸い上げ、大企業には減税をばらまく。これでは日本経済も立ち行きません。
そして「文化力」には、まともな関心をもたない。国の予算も文化にはすずめの涙しかあてない。これが今の政治ですから。
荒井 ですよね。
志位 これは根底から変えないといけませんね。
荒井 もうぜひ、そうしてほしいですよ。戦争に協力してくれそうな企業は大事にするという構図なんでしょうか。
志位 秘密保護法を強行したというのも、平和や民主主義、暮らしを守ろうという国民のたたかいを許さないために、まず国民の目と耳と口をふさいじゃえというわけですからね。これはショスタコーヴィチの抵抗の精神で断固拒否していかないと駄目ですね。
荒井 そうですね。みなさんにぜひ、ショスタコーヴィチを聴いていただきたいですね。(笑い)
志位 きょうはどうもありがとうございました。
荒井 また演奏会にいらしてください。
ドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906〜75年) 旧ソ連の作曲家。13歳でペトログラード音楽院に入り、19歳に卒業作品として作曲した交響曲第1番で世界から天才作曲家として認められました。36年に「プラウダ批判」、48年に「ジダーノフ批判」を受けますが、スターリン圧政下でも芸術家としての良心を守り抜き、15曲の交響曲、15曲の弦楽四重奏曲をはじめ、あらゆる分野に多くの傑作を残しました。