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2013年12月27日(金)

ピノチェト独裁下で政治囚処刑

チリ「死の部隊」有罪

各地の裁判に大きな影響

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 南米チリのピノチェト独裁政権(1973〜90年)下で起きた政治囚処刑事件に関する裁判で、サンティアゴ控訴裁は23日、実行犯ら8人の元軍人に最高15年の禁錮刑を命じました。


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元軍人8人に禁錮刑

 この事件は、北部アントファガスタで73年10月に発生。当局によって拘束されていた活動家14人が正当な裁判もなく射殺されました。実行した暗殺・処刑専門組織「死の部隊」は、軍事クーデターで最高権力者となったピノチェト元将軍が軍政に反対する活動家らの徹底的な弾圧を図るために創設したものでした。

当時を再現

 判決文は、犠牲となった14人が「死の部隊」のヘリコプターでアントファガスタの軍施設に運び込まれ、直後に「3〜4組に分けられ、壁の前に連れ出され、(軍人らの)一斉射撃を受けて処刑された」と当時の状況を生々しく再現。事件に直接関わった4人に15年、証拠隠しに加担するなど間接的に関与した4人に3〜5年の禁錮刑をそれぞれ言い渡しました。

 判決は軍と国の責任を認め、遺族に慰謝料を支払うよう命じました。その額は犠牲者の親や配偶者に1億ペソ(約2000万円)、子息らに5000万ペソと定められています。

40年の節目

 「死の部隊」は73年9〜10月にチリ全土の16都市を回り、各地で処刑を繰り返したといわれています。各地では犠牲者の家族らがそれぞれ個別に人権侵害を提訴しており、今回の判決は大きな影響を与えるとみられます。

 軍政による人権侵害を追及してきた弁護士クリスティアン・クルス氏は地元紙コーペラティバとのインタビューで、今回の判決がクーデターから40年の節目の年に出された重要性を強調。「やっと、わずかだが正義に近づくことができた」「司法が、何が起こったのかを文書に残したことが重要だ」と語っています。(菅原啓)


 ピノチェト軍政 1973年9月11日、米国の支援を受けたピノチェト陸軍司令官がクーデターを起こし、選挙で成立したアジェンデ人民連合政権を打倒して樹立した軍事独裁政権。90年の民政復帰まで反対勢力を徹底的に弾圧し、約3200人が死亡もしくは行方不明になりました。2011年までの調査によると、拷問や投獄などの被害者総数は4万人を超えます。


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