2013年12月8日(日)
太平洋戦争開戦72年
国民の目・耳・口をふさいで侵略を拡大
12月8日は、日本軍が1941年、英領マレー半島とハワイ真珠湾への奇襲攻撃を行ってアジア太平洋戦争を開始してから72年となります。
この戦争は、中国への侵略戦争で泥沼に陥った天皇制政府と軍部が、軍事資源の確保と局面打開のために侵略の手をアジア太平洋全域に広げたものでした。そして、国民の自由を奪い、国民の目・耳・口をふさぐことと一体に進められました。
大日本帝国憲法では天皇が絶対で、国民の権利は法律で定める範囲内で認められるだけでした。その上、数々の治安立法が国民をがんじがらめにしていましました。
中でも、1925年には「国体(天皇絶対の体制)の変革」や「私有財産制度の否認」の目的をもった結社の組織、加入とその協議、扇動などを弾圧する治安維持法を制定。28年には同法の最高刑を10年から死刑に改悪しました。中国への全面侵略戦争に踏み込んだ1937年には「軍事上の秘密の保護」を目的とした軍機保護法を全面改悪、太平洋戦争開戦前には「国家機密の秘匿」を目的にした国防保安法を制定しました(いずれも最高刑死刑)。
こうした中で国民は、日本軍による南京虐殺(37年)などの事実を知ることなく、侵略戦争を「聖戦」と信じ込まされたのでした。日本共産党は非合法下の厳しい弾圧の中で、侵略戦争に命がけで反対しました。
日本の侵略戦争の犠牲者はアジア諸国民2000万人以上、日本国民310万人以上に上りました。秘密保護法が自公両党によって強行成立させられた今、歴史の教訓に学び、繰り返さないことが求められています。