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2013年10月21日(月)

93歳から若者へ

おかしいことはおかしいと勇気もって声あげてほしい

70年前の「学徒出陣」

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 70年前の10月21日、明治神宮外苑競技場(現・国立競技場)で約2万5千人の学生が銃を担いだりしながら行進しました。文部省(当時)が開いた「出陣学徒壮行式」です。敗戦の色が濃くなった1943年、徴兵が猶予されていた学生をも戦場に送り込んだ「学徒出陣」。慶応大文学部2年だった岩井忠正さん(93)=東京都小平市=も、その一人です。高校2年生の柴野風花さん(17)と専門学校に通う米山青空さん(18)が岩井さんを訪ね、交流しました。


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(写真)岩井忠正さん

 岩井 壮行式の日は雨が降っていたことぐらいしか覚えていないんだよ。ずぶぬれで、足元はぐちゃぐちゃ。学校には全員に渡るほどの銃がなかったので、僕は持たなかった。

 青空 壮行会が開かれたとき、戦争への思いはどのようなものでしたか。

 岩井 壮行会があったからって「やってやる!」なんて、気持ちになったわけじゃない。当時、少なくない学生は何のためにたたかうのか、何のために死ぬのか、疑問を感じながら生きていました。僕は「学徒出陣」という言葉が好きじゃない。国民の「戦意高揚」のために当時のマスコミが作った造語だったし、「学生」だけを特別扱いしているように感じてね。

 僕は中国の大連で育ちました。大学受験のために東京に出てきて異文化に触れ、社会を客観的に見る目が芽生えた。そんな中で、日本の一連の戦争は侵略戦争だと確信するようになりました。私と同様に特攻を志願した弟や学生出身の将校とも、遠まわしな表現でしたが、「俺は天皇のために死なないぞ」という思いを話し合うこともあった。

 でも、そんなことは堂々と口にできない時代でした。そこがいまと、まったく違う。考えることも危ないから考えないようにしようという雰囲気だった。

 当時は、戦争に反対したら警察に捕まりました。でもね、反対した人もいた。それが共産党をはじめとする政治犯といわれる人たちです。私はこの戦争は間違っていると思ったけれど、一人で反対したってなんにもならないと声をあげませんでした。実際は一人ではなかった。それは僕の反省点です。だから、いまこうやって戦争の真実を伝えたいと活動しています。

●特攻隊員に

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(写真)米山青空さん(左)、柴野風花さん(右)

 青空 特攻に行くと決めたのはどうしてですか。

 岩井 一発で死んだほうがいいという思いがあった。募集に応じたら、それが人間魚雷「回天」でした。人が乗れるように、魚雷を改造したそうで、前に進むことしかできない。脱出装置も無く、一度出撃したら死ぬしかありませんでした。病気で「回天」部隊からはずれましたが、体調回復後、特殊な潜水服を着て、水中から竹ざおつきの機雷で上陸用舟艇を攻撃する人間機雷「伏竜」部隊に配属され、出撃することなく終戦を迎えました。

 風花 私だったら戦争に行くのは怖くて、毎日が嫌になったと思います。怖さや、生きたいとの気持ちはありましたか。

 岩井 もちろん怖かったし、死にたくなかったよ。でもね、運命として受け入れるほかなかったんです。

 戦後、公表された特攻隊員の遺書には勇ましい言葉が書いてあります。なぜだと思いますか。軍の検閲があったせいもありますが、親元に届く遺書に、死にたくないなどと書いて悲しませたくなかったからです。

 そして、もうひとつ理由があるんです。いくら死ぬ覚悟をしても「死にたくない」という思いは決してなくならない。死ぬ意味を探して、自分を説得しなくちゃならなかった。激しい言葉であればあるほど、死にたくないという本心が隠れています。そこを理解しないと、誰も真実を分かってやらなかったことになる。

●KYでいい

 青空 いまの国防軍を作ろうという動きをどう考えますか。

 岩井 自衛隊が国防軍に名前を変えるだけに見えるかもしれませんが違います。いまの自衛隊は、憲法9条によって戦争ができないように、しばられています。だからここまで一人も殺さず、一人も殺されなかった。軍隊になれば、制約はなくなります。昔の日本軍をみれば明らかです。

 風花 私たちの世代に、メッセージを。

 岩井 あなたたちは、おかしいことはおかしいと勇気をもって声をあげてください。KY(空気読めない)だっていいじゃない。自分たちの空気にしちゃったらいいんだよ。


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戦争は絶対にしてはダメ

 今まで生の声を聞いたことがなかったので貴重な体験ができました。お話を聞きながら何度も泣きそうになってしまった。戦争は絶対してはいけないと思いました。どうしたら戦争を繰り返さないか、考えるのが自分たちの世代だと思う。今回のお話は、おとなになっても忘れないと思います。


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情報しっかり見極めたい

 兵隊だった人の話を聞くのは初めてのことでした。めったにできない経験をさせてもらい、聞いたことを、しっかり周りに伝えなければと強く感じました。当時は国民が何も知らされない状況でしたが、いまはたくさんの情報があります。自分がしっかり見極め、活動していきたい。


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