2013年9月24日(火)
原発のない社会ここから
スウェーデン青年 3・11後もとどまり行動
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「シャーンクラフト ネイ タック(原子力に反対)」―。13日夜、国会正門前でスウェーデン語のコールが響き渡りました。ステージに立ちマイクを握ったのは米シカゴ大の大学院生、ラヴ・カインドストランさん(29)。
「放射能(汚染)に国境は関係ありません。いま世界中が脱原発で連帯していくことが求められています」
2歳の時、チェルノブイリ原発事故がありました。1000キロメートル離れた生まれ故郷のスウェーデンの町にも放射能の雨が降りましたが、新聞は放射能汚染の現実を伝えませんでした。
両親は周囲に気付かれないよう人気のない夜にラヴさんが毎日遊んでいた砂場の線量を測り、避難を決めます。幼いラヴさんの心に「原発は怖い」という思いが刻まれました。
留学生として文化人類学を研究していた2011年3月11日、東京で被災します。周囲の外国人が日本を出ていくなか、自分はどうしていいのか分かりませんでした。
日本に住み生活している一人として何ができるのか。何度も考えた末、日本に残り行動することを選びます。
2012年6月に初めて参加した官邸前行動は「みんなで新しい文化を生み出しているようだ」と。参加者やスタッフ、ボランティアが協力して毎週実現させていくさまを、自らの研究に引き付けて、こう表現します。
「自分も少しでも役に立ちたい」と、官邸前行動を主催する首都圏反原発連合のスタッフにも志願しました。参加者にフライヤー(ビラ)を手渡したり水を配ったりするなかで、「多くの人が参加しやすい現場をつくるためにスタッフがいかに努力と苦労を重ねてきたかを知り感動しました」。
今でも思うことがあります。3・11後、東京に残った自分を両親は許してくれないかもしれない。
それでも残ろうと決めたのは、ともに原発のない未来へ行動する友人たちの存在があったからです。「当時、私をつれて避難した両親が、いま日本で未来を変えるために行動している大勢の人たちを見れば、許してくれると思う」
日本での人々の行動は世界の国々にも影響を与えていると感じています。「官邸前を含めた脱原発運動のさまざまな実践は、社会全体にとって『経験と知恵の再生産の場』になっているからです」
冒頭のステージ上でのスピーチをこう結びました。「原発のない未来はここから始まります」
(舘野裕子)