2013年9月18日(水)
きょうの潮流
十五年戦争の終わりは8月15日です。では、始まりは? 日本軍が謀略で鉄道を爆破し、「満州事変」をおこし、中国侵略の火ぶたを切った9月18日(1931年)です▼仙台の歩兵第4連隊の佐藤隼太(はやた)1等兵は、開戦の翌日に戦死しました。15年にわたる戦争の最初の日本人犠牲者です。22歳でした。宮城県栗原郡一迫(いちはさま)町で墓を守っている親戚がいると聞き、訪ねたことがあります▼遺品として茶褐色の血染めの襟布、長兄に預けた墨痕も鮮やかな封書が残されていました。「我に生あるうちは開封すべからず」と書かれた中に、無念の一首がありました。〈花が咲き実がなれば豊年ぢや 花も咲かずに行く 何處(いずこ)へか〉▼日本共産党が当時発行していた「第二無産者新聞」の仙台通信員は、「戦争の犠牲者」19人を苦労して調査しました。佐藤隼太についても調べあげ、「貧農にして本人なくば生活至難なり」(11月28日付)と報じ、家族にも思いを寄せました▼一方、戦争を遂行した陸軍省の調査班は、パンフレット『満州事変勃発満二年』を発行。戦死者2566人、戦傷者6969人の数字をあげて書きました。「国際道義確立の犠牲として喜んで忍ばねばならぬ」と▼戦後、憲法9条によって自国でも他国でも戦争犠牲者は1人も出していません。日中全面戦争を開始した37年7月7日とともに、第2次世界大戦に道を開き、最初の侵略国となったこの日を忘れないようにしたい。新たな犠牲者を生む「戦争をする国」にしないためにも。