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2013年9月1日(日)

主張

関東大震災90年

災害に備え「人災」防ぐ政治を

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 きょうは、犠牲者が10万人を超えた関東大震災から90年にあたる、「防災の日」です。大震災の教訓に学び、災害に備える催しが各地で取り組まれています。世界有数の地震・火山国であり、台風も常襲する日本では、大災害が繰り返され尊い命が失われてきました。発生2年半となる東日本大震災と原発事故の「複合災害」は約30万人に避難生活を強いるなど、いまも進行中です。この夏の記録的豪雨による被害も深刻です。国民の安全を守り災害に強い国土をつくる政治の役割と責任が重要です。

人口密集地の悲劇

 1923年9月1日午前11時58分、神奈川県沖の相模トラフ(海溝)を震源にマグニチュード(M)7・9の激しい揺れが関東一帯を襲いました。死者・行方不明者は東京、神奈川など1都6県で約10万5千人にのぼりました。犠牲者の約9割は東京市(当時)と横浜市で、ほとんどが焼死でした。人口密集地域で木造家屋が倒壊し、昼食支度中の火災が多発したうえ、おりから低気圧の影響による強風で被害が拡大したのです。

 現在の両国国技館近くの旧陸軍被服廠(しょう)跡に避難していた数万人も、炎に囲まれ逃げ場を失い3万人余りが命を落としました。いま横網町公園に整備された“悲劇の地”には焼けただれた鉄骨などが展示され、惨害のすさまじさを今日に伝えます。

 震災後、「井戸に毒を入れた」などというデマが流され、軍、警察、自警団によって罪のない多数の朝鮮人、中国人や日本人が虐殺されました。被災者の救援活動をしていた日本共産青年同盟の初代委員長・川合義虎が虐殺された亀戸事件なども起きました。歴史の汚点として記憶され、絶対に許されてはならない事件です。

 自然災害は避けることはできなくても、それに備えることで被害は減らせます。都市であれ地方であれ、備えを欠いたことで被害が拡大するのは「人災」です。それを防ぐのはまさに政治の責任です。

 関東大震災は都市化がすすむ人口急増地域でありながら、それに見合った防災の備えが追いついていなかったことにより引き起こされた大惨事です。無秩序なまちづくりや乱開発をすすめることがいかに危険かを浮き彫りにしています。

 いま首都圏の居住者は90年前とは比較にならない規模に増大し、人の移動距離も広がっています。建物の高層化や地下化もすすむ一方で、雑居ビルや老朽した木造住宅が混在するなど、都市は複雑化の様相を強め、災害による新たな危険を高めています。

 政府の中央防災会議は、切迫の危険が指摘されている首都直下地震や南海トラフでの巨大地震にたいする被害想定を厳しく見直し、防災や避難の体制を強化すれば被害を減少させることができるとの報告書をまとめました。災害に強いまちをつくるためにいまこそ政治が役割を発揮するときです。

あらゆる危険の想定こそ

 木造住宅の耐震・不燃化、学校の耐震化などは待ったなしです。

 関東大震災を記憶にとどめ、5千人以上の犠牲を出した伊勢湾台風の翌年に決められた「防災の日」は、さまざまな災害を想定してその備えを総点検する日です。地域の危険に見合った防災の仕組みは整っているのかなど、改善を求める取り組みが重要です。


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