2013年7月27日(土)
共産党躍進の衝撃 比例515万票
比例議席でも「自共対決」
「政治転換への礎石ドンと…」
|
「参院議員の半数、全国会議員の16・7%を改選する選挙ではあったが、今回参院選の結果は、政治の転換につながる礎石がドンと置かれたという感じがする。後に振り返って日本政治の画期だったといわれる選挙かもしれない」――。永田町で40年、政治を見続けてきた政治団体理事長がつぶやきました。
予想を裏切る
この参院選で日本共産党は、比例代表で515万票・5議席、選挙区でも東京、大阪、京都で議席を獲得し、大躍進となりました。その参院選結果が示す意味を探ってみました。
参院選の投開票結果が出た3日後の24日朝、東京都内のホテルで「参院選を総括する」というテーマの会合が開かれました。自民、民主、みんな、無所属の国会議員12人を含む政界関係者が出席しました。
にぎやかに意見が交わされるなか、結論めいた発言がありました。「もはや二大政党といわれた時代は過ぎ去ったと見ざるを得ない」。出席者が静かにうなずきました。「共産党の8議席はまったく予想外だった。大方の予想を裏切る結果だった」との発言が続き、頭が上下に揺れました。
前後20年に及んだ「二大政党づくり」の破綻、その裏表としての日本共産党の“予想を裏切る伸長”。二つの事柄が重なる状況は、歴史的といっていい出来事です。
「二大政党づくり」は「政治改革」を掲げる日本新党が登場した1992年7月の参院選が端緒です。その後、小選挙区制導入を基礎に、自民党型保守2党による政治体制を固め、日本共産党を一定の小勢力に抑え込み、自民党型政治の継続をはかる大戦略が展開されました。
参院選7回、実に21年にわたって展開された自民党型二大政党づくりの試みは、民主党が凋落(ちょうらく)した今回参院選で、事実上、終焉(しゅうえん)したというわけです。
「東京」22日付夕刊も「二大政党制が崩壊」と大見出しを躍らせました。
政治の対立軸
1970年代以降の日本政治は、自民党、日本共産党、その間に位置する中間政党という政党構図で展開されました。自民党は中間政党を取り込み、日本共産党の孤立化をはかることを基本戦略としました。
「自共対決」は、この間40年の日本政治の真の対立軸であり続けてきましたが、名実ともに国政の軸になった時期は過去2回。70年代の衆参議員50人を数えた時期、そして90年代後半、日本共産党が衆院(726万票=96年総選挙)、参院(819万票=98年参院選、いずれも比例得票)を得て、衆参49議席を持つ勢力に膨らんだ時期です。
そして今回の参院選。自民党幹部は「共産党にかんしてわが党の予測は比例3議席で終始変わらなかった。ところが5議席を獲得、お陰でわが党が比例の想定議席20議席に届かず18議席にとどまった。共産のプラスが、ストレートに自民党のマイナスとなって現われた結果だった」ともらします。議席争いの最前線でも「自共対決」が軸だったとの見方です。
「自共対決」の新段階へ
「自共対決」の政治構図は継続し、古い自民党政治から脱却を求めて国民・有権者が日本共産党へ期待を向ける土壌は今後も広がるでしょうか。
東京では62市区町村のうち25市区で参院比例区の得票数が2位。都全域で自民党と1位、2位を分け合いました。
投開票日の翌22日朝、ラジオでこんな解説コメントが聴かれました。
「はっきり言えば貧しい人たち、所得の低い人たち、自分はもうはい上がれないんじゃないか、と思う人たち、そういう人たちの魂の叫びを共産党への一票に感じます。苦しんで、苦しんで共産党アレルギーがある人も入れた」(TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」で武田一顯TBS国会担当記者)
安倍自民党政治が採用する弱肉強食の新自由主義路線で、苦しむ老若男女がさまざまな思いを乗り越えて共産党へ支持を向けたというのです。
政治ジャーナリストの角谷浩一氏は「年越し派遣村も原発再稼働反対の官邸前行動も、共産党がずっと訴えてきたことが人々の気持ちと重なった。共産党の主張が、若い人たちのSOSとマッチした。という意味で今回参院選の議席増は一過性のものというよりは、これからの活動の方向、運営の仕方によっては、非常に大きく広がる可能性がある」と語ります。
参院選に先立って宇野重規東京大学教授(政治学)は、経済誌などで持論を発信していました。
「政党間の充実した論戦とともに、有権者がいかなる意思を込めて一票を投じるかにかかっている。それ次第によって、この参議院選は戦後民主主義の危機とも転換ともなりうるだろう」
参院選結果は、その規模に差はありますが、自民党と日本共産党の二つの政党の大幅議席増がまぎれもない一つの特徴でした。
「戦後レジーム」からの脱却を究極の政権目標にかかげる安倍自民党、その対極にあって戦後民主主義の象徴といえる憲法の基本精神の開花を主張する日本共産党。宇野教授が指摘する「危機とも転換ともなりうる」せめぎ合いが新たなステージに入ったのは間違いありません。
1970年代の日本共産党の第1の躍進期を知る野党党首経験者は「参院選結果は、共産党が再び勢いを回復するきっかけをつくったということではないか」と話していました。