2013年5月23日(木)
主張
歴史歪曲撤回せず
過去反省しないで未来はない
「侵略」の定義はないと主張し、日本の植民地支配と侵略を反省した「村山富市首相談話」を見直そうという安倍晋三首相、侵略戦争だったこと自体を否定した自民党の高市早苗政調会長、日本軍「慰安婦」は「必要だった」と公言する「維新の会」共同代表の橋下徹大阪市長―日本の侵略戦争の責任を否定する発言が相次ぎました。国際的な批判も受け、安倍首相も橋下氏もそれぞれ言い逃れに懸命ですが、見過ごせないのは発言そのものを撤回しないことです。発言を撤回しないのでは反省したことになりません。過去を反省しないで未来はありません。
あいまいにできない発言
「村山談話」の見直しを主張した安倍首相は、その後談話を「全体として引き継ぐ」と言い訳していますが、「侵略の定義は定まっていない」という発言は撤回せず、「村山談話」についても、日本が「国策を誤り」「植民地支配と侵略」を行ったという核心部分は確認しようとはしません。高市氏は、「村山談話」の「国策を誤り」の部分について「おかしい」と、侵略戦争だったことを否定した発言を撤回していません。
日本軍「慰安婦」は必要だったと公言した橋下氏も、マスメディアの「誤報」だったとか、日本人の「読解力に問題がある」などと責任を転嫁していますが、「必要だった」という発言そのものは撤回していません。日本だけが批判されるのは「強制」だったと誤解されているからだと問題をすり替え、「河野洋平官房長官談話」の見直しに固執しています。「維新の会」のなかでは、もう一人の共同代表の石原慎太郎氏が日本の戦争は「侵略戦争でなかった」と認めるべきだとけしかけるありさまです。
一連の歴史をゆがめる発言が、発言の取り消しも謝罪も行わず、あれこれ言い逃れるだけで批判を免れられるはずのないものなのは、明らかです。
日本が朝鮮半島から中国大陸、さらにはアジア各地へと戦線を拡大した戦争が、領土と権益の拡大をねらった侵略戦争そのものだったことは明白です。国連は総会決議で、「侵略とは、国家による他の国家の主権、領土保全若(も)しくは政治的独立に対する…武力の行使」と定めています。日本は、日本の戦争が「世界征服」をねらった侵略戦争だったことを弾劾したポツダム宣言を全面的に受け入れて降伏し、講和条約や平和条約を結んで国際社会に参加しました。
にもかかわらず歴史を歪(わい)曲(きょく)し、あの戦争は侵略戦争ではなかったなどといいはるのは、文字通り国際社会で孤立を招くものです。侵略戦争を美化する発言は、「政府の行為」による戦争の惨禍を繰り返さないと憲法前文に明記した、日本国民の決意にも背くものです。
口火切った首相の責任
「村山談話」や「河野談話」の見直しを求め、一連の歴史歪曲発言の口火を切った安倍首相の責任はきわめて重大です。
日本とともに第2次世界大戦で侵略国となったドイツのワイツゼッカー元大統領はかつて「過去に目を閉ざすものは結局のところ現在にも盲目となります」と演説しました。過去を反省しない安倍政権が、現在を正しく見て未来を切り開くことなどできるはずはなく、その責任がきびしく問われるのは当然といわねばなりません。