2013年4月30日(火)
憲法から考える
9条生かした平和外交
紛争を戦争に悪化させない
北朝鮮の核開発、尖閣・竹島(独島)問題…。北東アジアで山積する諸問題に、憲法9条をどう生かしていくのか。「多国間対話」を通じた「平和的安全保障」を実践する東南アジア諸国連合(ASEAN)の関係者を訪ね、ヒントを探りました。(政治部・中祖寅一、ハノイ=面川誠)
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「日本と違って、東南アジアの国はすべて『普通の憲法』を持ち、軍隊で国を防衛する考えです。しかし、私たちはすでに1976年に、東南アジアの行動規範となる東南アジア友好協力条約(TAC)を決め、武力の行使も威嚇も違法としました。紛争を対話と会議、外交によって解決するのです。この規範は、組織機構を持たず拘束力もありませんが、今日、ほとんどのアジア諸国が参加しています」
解決は交渉対話で
こう語るのはインドネシアの副大統領補佐官(政務担当)のデビィ・フォルトナ・アンワルさんです。ジャカルタ市の中心部にある副大統領府の中のビルで、アンワルさんは穏やかな表情を浮かべながら語ってくれました。域内一の大国として大きな影響力をもつ同国で、外交・安全保障問題の専門家として活躍する同氏は、スウェーデンのストックホルム国際平和研究所の理事も務める国際的な権威の一人でもあります。
「現在でも、東南アジアには、多くの領土紛争、未解決の2国間紛争があり、非常に頻繁に緊張が生じます。しかし、決して戦争を生じさせないできたのです」
ASEANの現状にくわしいジャカルタ・ポストのヨハンナ・リリへナ記者にも同社で意見を聞きました。出てきた言葉は、「紛争は交渉と対話で解決しよう! それがASEANスピリットです」。関係者に聞いて回ると「紛争は対話で解決を」と異口同音に語ります。
紛争が起きるのは防げないが、紛争を戦争に悪化させない―ここにASEANの要があるというのです。
そのために重視しているのが「対話」です。ジャカルタ市にあるASEAN本部で広報担当を務めるアニンディティアさんは、「ASEANは、年に1100回以上の会合を開いています」と証言します。トラックIIと呼ばれる民間研究者などによる非公式の会合も合わせると、数え切れないほどの「対話」が毎日続けられています。
ネットワーク拡大
「対話」には、東南アジア域外の「対話パートナー」である中国、アメリカ、ロシアそして日本、インド、欧州連合(EU)諸国などとの対話も含まれます。2005年からは東アジアサミットも開かれ、2011年にアメリカとロシアも参加しました。
いまやASEANは安全保障をはじめ経済協力や人的交流、文化交流など広範囲におよぶ「対話」のネットワークの中心になってきています。
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ASEAN 武力不行使を規範に
“難しいが交渉で妥協を”
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ASEANの対話ネットワークも最初から順調に築かれたわけではありません。
同地域には1954年に結成された反共軍事同盟SEATO(東南アジア条約機構)がありました。米英仏豪ニュージーランドに、タイ、フィリピン、パキスタンの8カ国で構成していました。
しかし、ベトナム戦争にタイ、フィリピンが参戦するという悲惨な体験の末、SEATOは73年から機能不全となり、77年に解体しました。その過程で67年に結成されたASEAN(インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの5カ国で結成)が次第に重きをなしていったのです。90年代にはベトナムはじめインドシナ3国が加入、99年のカンボジア加入で、東南アジア全域を覆う機構に発展しました。
欧米諸国による長い植民地支配と日本の侵略に続き、ベトナム戦争ではアジア人同士が殺しあうという悲劇も体験。大国の干渉に翻弄(ほんろう))された東南アジア諸国の歴史が背景にあります。
アンワルさんはいいます。「かつてインドネシアとマレーシアとの間にも紛争があった。しかし、もし紛争を継続するなら、資源を無駄にし、重要な利益を失い、外部からの干渉に対する自分たちのもろさをさらすことになります。争いを続けることで自分たちを危険にするより、重要なものがたくさんあると決断したのです」
TACを締結
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ASEANの行動規範とされる東南アジア友好協力条約(TAC)はベトナム戦争終結後の1976年、初めての首脳会議で締結されました。
「武力による威嚇や武力の行使を慎み、常に加入国間で友好的な交渉を通じて、その紛争を解決する」
TACを軸として、域内諸国間の戦争を40年以上にわたって回避。「地域紛争が拡大する」といわれた米ソ冷戦終結後も、大規模紛争は起こさずに来ました。
80年代後半以降、TACを域外にも広げ、いまや55カ国・地域が加入する地球規模の条約に。94年にはASEAN地域フォーラム(ARF)を創設。非核地帯条約(95年)や、南シナ海での領有権紛争をめぐる南シナ海行動宣言(2002年)など紛争の平和解決のための仕組みづくりを積み重ねてきました。
ジャカルタ・ポストのヨハンナ・リリへナ記者はいいます。「ASEANは、2015年までに一つの共同体を目指し、相互に結びつき、多角的協力関係を進めていくプロセスにあります。各国それぞれのナショナルインタレスト(国益)と、地域全体の利益が合致する。戦争が起こると、相互に結びついたASEAN全体の損失になります」
一方で、海洋進出を強める中国とASEAN各国との紛争も激化しています。
アンワルさんは「いま私たちは、この行動規範(TAC)を、南シナ海にも広げる努力を強めています。中国を含む他の参加国とのゆるやかな共通の基盤をつくることで、大国は単なる署名をしただけというのではなく、ASEANのメンバーに対して武力の行使を許されないことになるのです。しかし、この努力はまだ途上です」。
回避の「知恵」
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元ASEAN事務局長のロドルフォ・セベリーノさん(フィリピン)には、シンガポール郊外の東南アジア研究所で会いました。いま同研究所のASEAN研究センター長を務めています。
セベリーノさんが強調したのは、領土紛争をはじめとした国際紛争の解決の困難さと戦争回避の「知恵」です。
「それぞれが国家的な利益として追求している問題を解決することは非常に難しい。(第三者の)中立的な判断によっても、簡単にはいかない。だからといって、戦争するより交渉する方がいい。結局、交渉で妥協を得ることだ。ASEANはプラクティカル(実践的)だよ」
2002年までASEAN事務局長として、中国との外交交渉の渦中にあった人物だけに重みのある発言です。
「意見のきびしい対立のなかで対話を続けるポイントは?」。記者の質問にセベリーノさんは「戦争に勝者はいない。だれもが敗者だ。だから、ASEANは軍事力行使をしないよう求め続けるのです」
武力の行使を禁じ、それを回避するための努力を続けるASEANの生き方は、日本国憲法9条と深く共鳴するものです。
ASEANの歩み
1967年 ASEAN結成
1976年 東南アジア友好協力条約(TAC)
1977年 東南アジア条約機構が解体
1994年 ASEAN地域フォーラム(ARF)
1995年 東南アジア非核地帯条約
2002年 南シナ海行動宣言
2008年 ASEAN憲章