2013年4月3日(水)
橋下氏“ありえない国際社会観”と憲法攻撃
自民党と同一発想 / 「外交不在」の曲解
日本維新の会の橋下徹共同代表(大阪市長)は3月30日の同党大会で、「日本国憲法が、ありえない国際社会観を掲げたことがものすごい問題だ」と日本国憲法前文を攻撃し、改憲への強い動機づけとして示しました。
橋下氏が攻撃する憲法の「国際社会観」とは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(前文)という記述です。橋下氏はこれについて、「自分たちの安全と生存を諸国民の信義と公正を信頼するだけで保持するのは、ありえない。日本国民は安全保障について考えたこともないが、ここが元凶だ」と難癖をつけたのです。
これは、憲法前文の規定を「ユートピア的発想による自衛権の放棄」として削除し、不戦の決意や平和的生存権の規定を削除した自民党改憲案と同一の発想です。
しかし、日本国憲法が「諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」するというのは、“状況任せで何もしない”という消極的態度を示すものでは全くありません。
この規定は、アジアと世界に対する日本の侵略戦争についての明確な反省を前提に、日本国民が諸国民と共に平和のために努力を継続する決意を表明したものです。
さらに前文は、「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐ(い)る国際社会において、名誉ある地位を占めたい」、「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と続けています。
つまり前文は、紛争の根源に目を向け、平和と自由、民主主義と貧困克服のための国際的実践の先頭に立つことを表明しているのです。“何もしないで平和がやってくる”とか“一国平和主義”などというのは憲法を曲解するものです。
安倍・自民党と共に侵略戦争を正当化し、日本軍「慰安婦」問題での強制性を否定する日本維新の会には、そもそも憲法を論ずる資格がありません。さらに、諸外国との対話のテーブルを広げるイニシアチブも示さず、日米同盟強化と軍事対応に一辺倒の姿こそ、世界の流れから取り残された「外交不在」を示すだけです。 (中祖寅一)