2013年3月11日(月)
ゆうPRESS
写真の力で笑顔に
岩手・大槌町を撮り続ける釜石望鈴さん(15)
2011年3月の東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県大槌町で、被災した町や人の写真を撮り続けている女子高校生がいます。通信制高校1年生の釜石望鈴(みすず)さん(15)。人と接するのが苦手でしたが、写真を通じた出会いによって大きく変わりました。写真の力でみんなを笑顔にしたいと、カメラを構え続けています。(細川豊史)
祖父のカメラ
|
きっかけは1台のカメラでした。震災直後、被災した母親の実家から祖父(今年2月、78歳で死去)のフィルムカメラを見つけ、使ってみようと思いました。
吉里吉里地区の自宅は被害を免れましたが、周りは家も店も根こそぎ津波に流されました。
「はじめは信じられませんでした。でも、がれきの撤去が始まって、町の人たちが家のものを探して歩くのを見て、私も頑張らなくちゃと思いました」
気が付いたら、自宅の2階から町の景色を撮っていました。がれきが片付き、コンビニエンスストアが建つなど、町の変化を毎月撮り続けています。
「震災を忘れないように、写真に残したい、伝えたいんです」
望鈴さんは中学2年だった10年秋のある日、教室に入れなくなってしまいました。人の目を気にしがちな性格で、ストレスが重なり、人と会うことをつらく感じるようになりました。
2011年5月
|
震災後も保健室登校が続きましたが、先生や母親の加奈江さん(47)の勧めで作った新聞「Never give up!」が校内に配られました。紙面には被災した町のほか、桜やスイセンの花の写真を載せました。
「私の写真を見て誰かが少しでも気持ちが楽になってくれたらいいなと思ったんです」
先生は「いいね。次も楽しみにしてるよ」と言ってくれました。
カンボジアへ
昨年8月、望鈴さんは大きな体験をします。貧困問題を追うフォト・ジャーナリストの安田菜津紀さん主宰のカンボジア・スタディーツアーへの参加です。
被災した子どもの学習環境を提供することを目的にNPOが運営する放課後学校「コラボ・スクール」でツアーを紹介されました。
「安田さんの写真を見て、貧困で大変な状況でも笑っている子どもたちに衝撃を受けました。その笑顔に会いたいと思いました」
ポル・ポト政権下に大量虐殺が行われた刑場跡では、当時のことを「伝えなければ」と笑顔で話す高齢の男性が印象的でした。
スラム街では、子どもたちと触れ合い、写真を撮りました。折り紙や紙風船を出して、身ぶり手ぶりで遊び方を教えると、一緒に笑顔で遊んでくれました。
カンボジアで感じたのは人の温かさ。見ず知らずの人が水道水の出し方を教えてくれて、体調を崩した時には小さな子どもからおとなまで村の人たちが看病してくれました。
「つらい状況でも笑顔でいられるのは、一人じゃないからだと思います。それは被災した大槌とも通じるものがある気がします」
人のつながり
2年前は相手の目を見て話すことができなかった望鈴さん。こうした体験を通して変化し、撮影対象は風景や花から人へと変わっていきました。
「人を撮る時、会話を大切にします。すると自然な笑顔が出ます。笑顔の写真は見た人も笑顔になります」
今は「放課後学校」で、大槌町で出会った人々を撮り、アルバムにする取り組みをして、復興にかかわりたいと考えています。
「『写真を撮る』という自分の好きなことで、少しでもみんなを笑顔にできたらいいな」
加奈江さんも望鈴さんの成長を喜びます。「望鈴の写真に癒やされ、写真っていいなと思います。好きなことを頑張っていることがうれしいです」
将来の夢は模索中。もっと海外のいろんなところに行って写真を撮りたいと考えています。でも、生まれ育った大槌町が好きです。
「大槌のいいところは、自然もだけど、人。周りの人が声をかけてくれる。そういうつながりがいいなと思います。もし町を出ることがあっても、必ず戻って来たいですね」
内に秘めた優しさと強さ
フォト・ジャーナリスト 安田菜津紀さん
望鈴さんは初めはおとなしかったけど、一歩踏み出して世界を見たいとツアーに応募する、内に秘めた優しさと強さを感じました。カンボジアでは子どもたちと楽しそうに接して、心と心の触れ合いを実践していました。
その後は彼女の才能に火がついて、何かを伝えたいという発信力を高めて、どんどん前に進んでいることが私にとっても励みです。
彼女のいいところは素直な気持ちで伝えるところ。これからもストレートに、特に同世代に向けていろんなことを発信してほしい。