2013年1月29日(火)
「建白書」に込めた県民の総意
沖縄は戻れない 政府も「覚悟」を
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「もう、沖縄は戻れない。日本政府も覚悟を決めてほしい」。沖縄県議会の喜納昌春議長は28日、国会内での記者会見でこう迫りました。
オスプレイ配備撤回を直訴するため上京した沖縄の代表団は、安倍晋三首相らに「建白書」と題した一文を手渡しました。
そこには、オスプレイのみならず、沖縄の本土復帰後6000件近い米軍犯罪など基地あるがゆえの苦しみをつづり、こう訴えています。「この復帰40年目の沖縄で、米軍はいまだ占領地でもあるかのごとく傍若無人に振る舞っている。国民主権国家日本のあり方が問われている」
今回の「建白書」につながる動きが、沖縄の復帰直前にありました。1971年11月、琉球政府の屋良朝苗主席らが「基地のない平和の島としての復帰」を求めて上京したときに携えていた「建議書」です。
ところが一行が東京に着いた瞬間、沖縄の「基地つき返還」を盛り込んだ沖縄返還協定が衆院特別委で強行採決されたのです。
「建議書」にこめられた思いは政府に届くことはなく、復帰後も沖縄の米軍基地は固定化・強化されてきました。この間、政府は基地と引き替えの「振興策」で県民の分断を図ってきましたが、今はそれを乗り越え、オスプレイ配備反対・普天間基地の県内移設反対は「オール沖縄」の声になっています。
復帰40年をすぎて再び、沖縄から突きつけられた訴え。政府の対応はどうだったのか。全体としては「従来どおり」(翁長雄志那覇市長)というものでした。2月下旬の安倍首相訪米を意識して、具体的な言質を取らせたくなかったとの思惑が見え隠れします。
このままでは米軍はオスプレイ12機を今夏に追加配備します。さらに、空軍用のCV22オスプレイ10機程度の配備も計画されています。状況はさらに悪化するばかりです。政府は屋良氏らの「建議書」を踏みにじった愚を繰り返してはなりません。覚悟を決めるときです。