2013年1月24日(木)
きょうの潮流
「なぜ僕だけがしばき回されなくてはならないのですか」。高校2年のバスケットボール部主将が、みずから命を絶つ4日前でした。体罰を加えていた顧問に宛てた手紙の冒頭です▼大阪市立桜宮高の体罰自殺。しかられ役として何度もたたかれるつらい日々、苦しい心中を、手紙はつづっていました。好きなバスケをがんばっているのに。傷ついた心は、おいつめられていきました▼しかし体罰は桜宮高だけではありません。その後も、ちがう学校の体罰が次々と明らかになっています。スポーツの場ではとくにもちこまれやすい。「指導の一環」「愛のムチ」という名の暴力が、いまだにまかり通っています▼もちろん、昔よりは体罰を認めない指導者や学校は増えています。一方で見過ごされているところもまだまだ多い。根絶には、どんな理由があっても体罰=暴力はゆるさない決意が指導者、親、子どもをはじめ、みんなに求められます。そこではまた、自身の反省や覚悟も試されます▼ところが大阪の橋下徹市長は、さんざん暴力を認めてきながら急に正義の使者のようにふるまいます。入試を中止させたり、顧問の総入れ替えを要求したり…。しかし彼の乱暴なパフォーマンスは、現場を混乱させるだけです▼なぜ体罰がおきるのか、その土壌はどうしてできたのか。いまは解明が必要です。渡せなかった17歳の手紙はこう結んでいました。「もう僕はこの学校に行きたくない。それが僕の意志です」。悲劇をくり返してはなりません。