2013年1月11日(金)
きょうの潮流
「体罰はなくならないと思う」。十数年前に高校野球の現場を歩いたとき、ある指導者があきらめ顔で嘆いていたことを、いまでも覚えています▼長く指導に携わってきたその監督は、強制がなくてもできるように心がけているといいながら、体罰指導の“効果”も認めていました。手っ取り早く言うことを聞かせ、規律よく試合や練習にのぞませるには、力による支配が一番だ。すぐに成績が上がり、学校も親も喜ぶ。だからなくならないんだと▼高2のバスケットボール部主将が、指導者による体罰を苦にみずから命を絶ちました。以前から、部員への体罰があったことを周りも知っていたといいます。しかし、実績がある、愛のムチだと思った…そんなお決まりの理由でみすごされていました▼バスケが好きで責任感もあったという17歳。それなのに、殴られ、たたかれ、生きる気力をうばわれていったのでしょうか。楽しいはずのバスケが地獄に思えたのか▼深刻なのはこれが例外とはいえないことです。体罰や練習名目のしごきは他のスポーツでも根強い。どんな体罰も暴力。決して許してはならない。そう覚悟をもたなければ愛のムチはなくならないでしょう。人間の尊厳を守るたたかいは、私たち一人ひとりの問題でもあります▼先の指導者は自分に言い聞かせるように語っていました。「人間はゆっくりと成長する。いま勝たないといけない、ここまで到達しなければならない、そう指導者が焦るのではなく、待つことが教育だと思う」