2012年9月24日(月)
オスプレイ配備強行 背景に密約
米解禁文書 「事前協議の対象外」
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米海兵隊の欠陥機MV22オスプレイの沖縄配備について、日本政府は「(是非を言う)条約上のマンデート(権限)はない」(森本敏防衛相)などとして配備強行を容認するという、あってはならない政治姿勢をとっています。こうした米国言いなり姿勢の背景には、1960年の日米安保条約改定時に結ばれた「事前協議密約」があることが、米政府解禁文書で判明しました。
解禁文書は、62年から63年にかけて米空軍三沢基地(青森県)などで進んだ、「ANNA」と名付けられた軍事スパイ衛星の地上局(追跡装置)設置計画に関わるもの。在日米大使館が同装置のような「在日米軍基地への新しい装備の持ち込み」について米国の法的立場を問い合わせたのに対し、米国防総省が回答した文書(63年2月12日付)です。国際問題研究者の新原昭治氏が米国立公文書館で入手しました。
同文書は「日米安保条約、米軍地位協定、日米双方の覚書に基づき、米国は、…(米軍)装備の持ち込みを日本政府が拒否する権利に対抗する強力な法的立場を有している」と指摘。日本には事実上、拒否権がないことを強調しています。
同文書はその根拠として、60年の日米安保条約改定時の事前協議密約を引用。同密約が、「米軍の装備における重要な変更」をめぐって日本政府との事前協議の対象になるのは核兵器の日本への持ち込み(イントロダクション)やそのための基地建設だけで、「非核兵器の持ち込み」は対象にならないとしていることを紹介。これは「既存の(米軍)施設・区域への非核兵器の持ち込みについて日本政府は拒否権を持たないという日米両政府の意図を明確にしている」と指摘しています。
日本政府がオスプレイの強行配備に唯々諾々と従うのは、安保条約の下で今もこの密約に縛られているためです。一刻も早く密約を廃棄し、日本国民の生命と安全を最優先に米国に堂々と物を言える立場を確立することが求められています。
事前協議密約 1960年の日米安保条約改定の際、当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米大使が頭文字署名した密約。「討論記録」という名前が付いています。核兵器を積んだ米軍艦・米軍機の日本への寄港・飛来(エントリー)も事前協議の対象外とする内容が含まれ、「核持ち込み密約」として有名です。
解説
オスプレイ強行容認の背景
日本縛る密約 廃棄すぐに
日本政府がオスプレイの配備強行に従順な背景に、日米安保条約に基づく事前協議制度を完全に骨抜きにし、米軍基地の自由使用を保証する密約が存在することが明らかになりました。
事前協議はもともと、日本への米軍部隊の配置や装備の変更などについて米政府が前もって日本政府に相談する仕組みだと宣伝されてきた制度です。
この制度は1960年1月19日、米軍の日本駐留を認めた改定日米安保条約第6条に基づき、当時の岸信介首相とハーター米国務長官が交わしたとされる「交換公文」(岸・ハーター交換公文)で規定。▽米軍の日本への配置における重要な変更▽米軍の装備における重要な変更―は、日本政府との「事前の協議の主題とする」としています。(このほか対象になるのは、日本から行われる戦闘作戦行動のための基地使用)
「配置における重要な変更」や「装備における重要な変更」が具体的に何を指すのかの細目を示した裏の取り決めが、「事前協議密約」です。60年1月6日に当時の藤山愛一郎外相とマッカーサー駐日米大使が頭文字署名し、「討論記録」と題しています。
「討論記録」は、「装備における重要な変更」について「核兵器および中・長距離ミサイルの日本への持ち込み(イントロダクション)ならびにそれらの兵器のための基地の建設を意味するものと解釈されるが、たとえば、核物質部分をつけていない短距離ミサイルを含む非核兵器の持ち込みは、それに当たらない」としています。
非核兵器であればほとんど何を持ち込んでも構わず、日本政府はこれに口を挟めないという取り決めです。
加えて「討論記録」は、核兵器を積んだ米軍機の飛来も、核兵器積載の米軍艦の日本領海や港湾への立ち入りも、事前協議の対象外としています。日本への核持ち込みを野放しにし、危険な米軍装備や部隊の導入も自由勝手にできることを認めているのです。
民主党政権は、2009年に実施した「密約」問題の調査で「討論記録」の存在を認めました。しかし、これを「密約」とは認めず、米国に対して廃棄措置を何らとりませんでした。そのため今も効力を持ち、オスプレイの配備問題でも日本政府を縛っているのです。密約の廃棄は急務です。(榎本好孝)