2012年8月2日(木)
テニアンに自衛隊
原爆搭載地で共同訓練
被爆の苦しみ置き去り
67年前、広島・長崎に原子爆弾を投下するために米軍爆撃機B29が出撃した北マリアナ諸島テニアン(米自治領)が、「米軍再編」で日米共同の新たな軍事拠点に再生されようとしています。いまなお原爆被害に苦しむ被爆者からは「こんなひどいことは絶対に許されない」との悲痛な声があがっています。
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サイパンからテニアンに向かう軽飛行機の眼下に広がる樹木に覆われた飛行場跡。
説明板に経過「誇示」
東京から南へ約2250キロ、紺ぺきの海に浮かぶサンゴ礁の島、テニアン島。その北部、島を串刺しするかのように東西に走る複数の滑走路があります。
広島、長崎に出撃するB29に原子爆弾を搭載するための施設、原爆ピットが滑走路北側の駐機場と思われる場所に二つあります。
広島投下の爆撃機エノラ・ゲイに搭載された「リトルボーイ」、長崎投下のボックスカーの「ファットマン」です。いずれもが大型なため、通常の方法では搭載が困難で、米軍が採用したのは半地下式(深さ約2メートル)のピット。この中に原爆を吊り降ろし、ピット上に移動した爆撃機の原爆搭載用に改造した爆弾倉に油圧ジャッキで押し上げ収納します。
埋まっていたピットを数年前に掘り返し、リトルボーイ、ファットマンとそれぞれの搭載手順の写真をピット内に展示、透明なシェルターでカバーしてあります。
説明板には爆撃機のパイロット名があり、搭載から投下までの経過を「誇示」するかたちで記入されています。そこには人類初の原爆による無差別大量殺りくへの反省も謝罪の言葉もありません。
遠征作戦も視野に
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「なんでそんなところにわざわざ自衛隊が出かけて米軍と訓練するのか。しかも日本の税金で整備するなんて許せない。被爆者の苦しみをどう考えているのか」
テニアンの原爆搭載ピットの写真を食い入るように見つめながら、唇をかむ広島県原爆被害者団体協議会の吉岡幸雄副理事長(83)。16歳のときに爆心から1・7キロ地点で被ばくしました。
目もくらむような閃(せん)光を感じて気を失いました。額の肉が垂れ下がり、前が見えないまま無我夢中で帰宅。10日間、40度近い高熱にうなされ続け、背中や足の関節などの傷は今も消えません。
在沖海兵隊の一部をグアムに「移転」する「米軍再編」日米合意(2006年)で、元防衛大学校長らによる「平和・安全保障研究所」は07年にグアム、北マリアナ諸島での日米共同演習など「自衛隊の積極的関与」を提言しています。
テニアンでは今年5月、米海兵隊岩国基地(山口県)のF18戦闘攻撃機部隊などが、使用不能な滑走路を緊急回復させて離着陸訓練を繰り返す、「ガイガー・フュリー2012」を初めて実施。「在日米軍再編」に基づく「訓練移転」の一環として戦闘機の燃料費や軍用資器材の輸送費など4分の3を日本が負担しました。
移転訓練とは名ばかりで実態は「侵攻能力」を高める「遠征作戦演習」です。グアム・テニアンで米海兵隊との日米共同演習(訓練)にはこうした遠征作戦も視野にあります。
吉岡さんは広島での被爆地図を手に言います。「アメリカ言いなりの野田政権による軍事的な前のめりの具体化が、今も被爆者を苦しめている原爆投下の出撃基地での日米の共同訓練とはあまりに危険でひどい。広く国民に知らせなければいけない」(山本眞直)