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2012年6月29日(金)

きょうの潮流

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 「これは一体どうしたということでしょう/これでよいのか 戦争がすんで十五年もなるというのに」▼1959年6月30日、米軍の戦闘機が沖縄の石川市(現うるま市)に墜落し、炎上しながら宮森小学校に激突しました。「これは一体…」は、当時の仲嶺盛文校長が記した追悼文「あゝこの悲惨」です▼「二時間目までこの美しい学園で先生とたのしくまなんだあなたたちは/Z機の爆音と共に 全身火だるまになり先生に助けてと一声のこして/一瞬にしてこの世から消えさっていった」。仲嶺校長は、試練の余りの重さに崩れそうな気持ちをもちこたえ、したためました▼死者17人、うち11人が児童でした。重軽傷210人。血まみれで「学校に戦争が来た。太陽が落ちた」と叫ぶ子もいました。あす、事件から53年。県民に、血と炎の恐怖の記憶がよみがえります▼思い出話ですませられません。米軍は、普天間基地に備えるつもりの世界でもっとも危険な欠陥機オスプレイの離発着地に、県内69カ所を使う考えです。県議会と県下41すべての市町村の議会が配備に反対し、市長会が県民大会を開くのも、当然でしょう。全県の普天間化ではないか、と▼宮森事件を全国民に伝えようと、いま本土の映画人が沖縄の人々とともに映画「ひまわり〜沖縄は忘れない、あの日の空を」を作っています。仲嶺校長は、帰らぬ子たちに呼びかけたのでした。「いつまでも 学校の守り神となって下さい/そして 世界の平和のもと力(ぢから)になって下さい」


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