2012年6月25日(月)
震災・原発に挑む
ロックバンド・BRAHMAN TOSHI-LOWさん
嫌なものは嫌と歌う 誇れる生き方したい
脱原発を音楽で訴える「NO NUKES 2012」(7月7、8日、千葉県・幕張メッセ)に出演するロックバンド・BRAHMAN(ブラフマン)。昨年の東日本大震災以降、被災地への支援を積極的に行っています。ボーカルのTOSHI‐LOW(トシロウ)さんに話を聞きました。
東日本大震災と原発事故では、勉強させてもらいました。自分がいかに狭い世界で生きてきたのか、おどらされてきたのか―。知らないことがいっぱいあったことに、気づかせてもらいました。
日本ってまともだと思っていたけど、政府やマスコミが平気でうそをつくことを知りました。原発は「安全神話」だったわけで、報道も都合のいいように事実がねじ曲げられているということに驚いた。戦争が始まるときってこんな感じなのかなと思いました。
出身が茨城県の水戸市なので、震災後、友人がいる北茨城にいきました。正直、行くまでは、高揚感みたいなものがあったんです。
避難所での一言
避難所に着いて、友人のお母さんに「一緒に避難しますか」と聞いたら、「介護の仕事をしているから、私たちがいなかったら困るお年寄りがいる。避難できない」と言われました。そこで自分がヒーロー気どりでいたことに気づいた。がつんとやられて、ぶっ壊されました。それからは被災地に物資を持って行ったり、ライブもやったり、どんどん動けるようになった。そのお母さんの一言があったからです。
支援活動はメンバーもスタッフも理解してくれて、一緒にやりました。震災は、自分のくもった目も、とっぱらってくれた。
行った先の避難所で、みんなが助け合っている姿は自分の想像をはるかに超えていました。人は生きていくために奪い合うかもしれないが、分け合うこともできるんだと教えてくれました。自分なら後者を選びたい。
ミュージシャンとして、自分たちが社会的な活動をするということ、音楽に政治的なものを持ち込んでしまうことがどうなのかなと思っていましたが、結局あふれるものを抑えることができなかった。
“復興”自分にも
震災前の歌は、悔いなく生きると歌いながら、死に焦点があたっていた気がしますね。震災があって、自分はすごく生きたいんだと気づいた。生きていくために死と向き合わなければいけないんだと。簡単に生きてないか、避けていないかと考え、自分の意志で生きていきたい。今回の震災で、自分が一番復興させてもらったのかもしれません。
今度、「NO NUKES 2012」に出演します。放射能とか核のゴミとか、いま処理できないものを次世代に残すっていうだけで、俺の中で原発はアウト。安全だと言っていたのに、もれたわけじゃないですか。原発を推進する理由は客観的にみて少ない。そこに利益がある人以外は。国民の人たちも分かってますよ。
俺たちの世代で、何もかもが変えられるわけではないと思う。でも、いやなものはいやだと歌うことで、次の若いやつが出てくると信じています。
子どもが生まれるまで、先祖のことを知らなかった。位牌の裏に7代くらい前までの人のことが書いてある。江戸時代のなんです。じいちゃんや、そのまたじいちゃんがいたから、自分がいて、いま子どもを抱いている。
2011年という年は、歴史の教科書に載るでしょう。いつか自分にも孫が生まれて、孫が大震災と原発事故のことを習ったとき、「あのとき、じいちゃん何やっていたの?」と聞かれるかもしれない。自分がやってきたことを誇れるかどうかは、自分で決めることができます。勝ち負けじゃない。いまを人間らしく、胸を張って生きていきたい。
聞き手・栗原千鶴 写真・吉武克郎