2012年5月20日(日)
主張
「一体改悪」
「社会保障守る」は罪深いウソ
消費税大増税と社会保障「一体改悪」法案が実質審議入りした衆院特別委員会などで野田佳彦首相と与党議員は、国民を脅す発言を繰り返します。“時代が変わり社会保障の持続可能性が維持できない。だから消費税増税だ”と。社会保障への国民の不安につけ込み、大負担増を受け入れさせようというのはまったく不当ないい分です。看板であるはずの「社会保障充実」は語れず危機感をかきたてることしかできない野田首相らの姿は「一体改悪」の大義のなさを浮き彫りにしています。
成り立たない口実で
「社会保障が持続できない」理由として野田首相がまず持ち出すのは、高齢化と少子化で現役世代1人が高齢者1人を支える「肩車」社会になるという「人口構成の変化」です。この“危機論”は、社会保障を支えるのは現役世代だけでないことや、現役世代と高齢者・子ども世代の人口比率はほとんど変化がないことなどから成り立たない議論です。厚労省の会議でも「将来への恐怖心」を生むので「やめたほうがいい」と戒める意見が出されています。それを繰り返す首相の見識が問われます。
首相が「今の社会保障給付は高齢者中心で、若い人は恩恵を受けていない」などと世代間の対立をことさらあおる議論の先頭にたっていることは重大です。日本の社会保障で問題なのは給付費が対GDP(国内総生産)比で約20%しかなくフランスなど欧州諸国と比べてもきわめて低いことです。高齢化が他国よりもすすんでいる日本の高齢者への給付が国際的に高いなどといえる状況ではありません。必要なのはフランスやスウェーデンの4分の1程度しかない子育て家庭への給付を大幅に引き上げるなど全体的な底上げです。
高齢者への給付は、親などの介護を担う現役世代にとっても必要なものです。高齢者の給付ばかり「手厚い」とやり玉にあげる首相の認識は、社会保障への無理解を示すものでしかありません。
消費税を10%へ大増税し社会保障を切り捨てる「一体改悪」を国民におしつける理由に、社会保障を守るためであるかのようにいうのは、国民にたいする罪深いウソです。1989年の税率3%の消費税導入のときも97年の5%への引き上げのときも、必ず持ち出されたのが「社会保障のため」でした。実際に行われたのは社会保障制度の相次ぐ改悪だったことは、「社会保障」がお決まりの手口であることを示しています。
今回の「一体改悪」では、現在国会に提出された法案だけでなく、年金支給開始年齢の65歳からの引き上げや、医療の窓口負担増、介護利用料アップなどの計画が控えています。国民に大きな負担を強い、社会保障をさらに大改悪するのに、「社会保障のため」などというのは、まさに国民を愚ろうするというほかありません。
発想変えた議論こそ
いま必要なのは社会保障の財源と称して消費税増税頼みに陥っている発想を、大本から転換することです。無駄をなくし、富裕層と大企業の優遇税制をあらためること、国民の所得を増やす経済改革を通じての財源確保などを真剣に検討するときです。
未来を閉ざす「一体改悪」を許さず、社会保障を再生・充実させることこそが求められています。